Gloria olivae
Romanus Pontifex
Pope Benedict XVI announced the resignation of the pope and with the February 28.
次のローマ人ペテロでローマ法王は終わりなわけだが、ベネディクトはこの予言を知ってて、
生きてるうちに退位して
イタリアと関係ない人間を
即位させるんじゃないか?
【国際】ローマ法王が辞任表明
1 :帰社倶楽部φ ★ [sage] :2013/02/11(月) 20:08:57.46 ID:???0
ANSA通信によると、
ローマ法王ベネディクト16世が
2月28日をもって法王を辞任すると表明。
2013/02/11 20:04 【共同通信】
1 :帰社倶楽部φ ★ [sage] :2013/02/11(月) 20:08:57.46 ID:???0
ANSA通信によると、
ローマ法王ベネディクト16世が
2月28日をもって法王を辞任すると表明。
2013/02/11 20:04 【共同通信】
【ローマ共同】ローマ法王庁(バチカン)報道官は11日、ローマ法王ベネディクト16世(85)が高齢のため2月28日をもって退位すると発表した。バチカンのメディアによると、法王は11日、枢機卿会議で、重責を果たせないと感じたため引退を決めた、と述べた。
法王は前法王ヨハネ・パウロ2世の後を受け、2005年4月、法王に選出された。先代法王に続き、生命や家族の重要さを説き、保守的立場を貫いた。法王庁(バチカン)報道官によると、法王の辞任は約600年ぶり。
法王は「体力的、心理的、精神的に務めが果たせなくなると辞任する権利と責任がある」と述べていた。
http://www.47news.jp/news/flashnews/--
【ファティマ第3の予言】
ハイジャック犯人は、ひそかに持ち込んだダイナマイトを手に、乗員108人を人質にとり、なんとしてもその内容を公表しろと迫ったのでした。ローマ法王庁にはでは緊急会議が開かれ犯人の要求に対してどうするか話し合われましたが、結論は「ノー」。幸いなことにハイジャックは、スチュワーデスをはじめ乗員の勇気ある行動によって、1人の死傷者もなく無事に解決されました。
「ファティマの預言」とは、1917年5月13日に、ポルトガルの田舎町ファティマにすむ3人の子供たちの前に現れた「聖母マリア」が、そのうちの1人「ルチア・ド・サントス」に託したメッセージのことです。
【ルチア・ド・サントス(右端)とコヴァの谷に集まった群集】
その後3人の前にいくどなく姿を現した聖母マリアは時には空中からパンとワインを差し出すことすらあったそうです。ある時、ルチアは「聖母マリア」から、「今度はコヴァの谷間でお会いしましょう」と場所と時間を指定して言われました。その結果、噂を聞きつけたなんと6000人もの人々がコヴァの谷間に集結し、かたずをのんで聖母マリアの登場を待ちかまえたのでした。驚くべきことに今度はその6000人の目の前で突然、天空に青白い光が差し込み、めくるめくようなオーロラが、天を満たし、香しい香りとともにその「奇跡現象」は確かに6000人の目前で出現したのでした。
その後、ファティマは、フランスのルルドとともにカトリック聖庁から「奇跡の聖地」と認められ、現在も多数の信者がその地機のを訪れています。
それでは気になる「ファティマの預言」の内容ですが、それはルチア・ド・サントスが後に書き記した「3つの預言書」より成り立っています。第1の預言は「第1次世界大戦の終結」を予言したものでした。そして、第2の予言は「第2次世界大戦の勃発」を予言したものでした。
注目の第3の預言についてですが、その内容を目にしたとき卒倒したと言われている当時のローマ法王は、深く考えた末、その内容をいつまでも秘密にしておくわけにはいかないと思い、現在の法王になる前のベネディクト16世を通して、要点をまとめて世界の主要国のカトリックの指導者の手元に送りました。日本では函館のトラピスト女子修道会の院長がその書簡を受け取り、さっそく日本語に翻訳したのでした。それには次のような内容が記されているそうです。
「やがて、世界はサタンによって支配されるでしょう。それは、人々がそれまで、神の御心を足蹴にするような行動を重ねてきた結果、自ら招いたことなのです。サタンはまず、教会と学会を支配します。そのため、1瞬のうちに、人類を滅ぼしてしまうような武器が開発されますが、教会はそれを止める力も意志も失っています。この武器を使った戦いが世界のあちこちで火を噴くでしょう。火と煙が地球上を覆い、海の水まで、沸々と煮え返ります。この異常な現象によって、地上にあるもの、水中にあるもの、空にあるものまで破壊されてしまうでしょう。人類は9分の7が死に絶えてしまうでしょう。
だが、死者はまだ幸いです。生き残った者は、死ねなかったことを激しく悔み、死者をうらやむほどの苦痛と苦悩にさらされるのですから。誰がのこされるのか。あるいは残される者はないのか。・・・・・今、私に見えるのは、地球上のいたる所で勝利の歌を歌うサタンと死神の姿です。」
ただし、注意しなければならないのは、上記は法王による虚偽の報告であるという説も根強くこのまま鵜呑みには出来ない事があげられます。もし、真実だとしても、私は、サタンと死神が最後に歌うのは、改心した結果の“愛の歌”だと信じてますけどね(笑)
その証拠を聖書の暗号(HPにて後述)解析から読み解いている方もいます。
『聖書の暗号は読まれるのを待っている』(イオン・アルゲイン著、2010年、徳間書店刊)より以下を抜粋します。
3つ目の予言は、1960年まで公開できないとのことでしたが、バチカンはこの時期を過ぎてもその内容を公開しませんでした。2000年になって3つ目の予言は既に過ぎ去った危機として公表されました。
3つ目の予言 1981年5月13日の法王暗殺未遂と背後にある核戦争の危機
『【解析結果 ファティマ第3の予言】 聖書の暗号が世に出て、人々に理解されるようになると、過去のバチカンの犯罪と、聖マラキの預言により示されている法王たちの支配の終焉が明らかになるかもしれない。池田邦吉さんにより解析された、ノストラダムスの諸世紀 に予言されている未来が起きるかもしれない。また、隠されてきた前文明や歴史上の遺産を公開することになるかもしれない。メッセージは、ムーの時代に計画し、約束したエイリアンから送られた。UFOもつかわれた。』
聖書の暗号から見る第3の予言には、ローマ法王庁崩壊が述べられていました。ここにはローマ法王が今まで隠されてきた情報を公開して、平和にバチカンが役割を終えていく未来と、ベスビオの噴火を伴ってローマが破壊され、バチカンが終焉をむかえる未来が書かれています。
中略~ メッセージは、エイリアンからのものとされています。ムーの時代にエイリアンが存在することは既に見てきています。彼等の中でムー崩壊の時代に愛の側で協力してくれたエイリアン達が、暗号の予定にあわせてこのメッセージを送ってくれたものなのだと思います。UFOの使用が触れられていますので、光のショーと奇跡はUFOが行ったものなのでしょう。(抜粋ここまで)
上記が真実なら、本当のファティマ第3の予言は、闇の勢力の一員であるローマ法王によって現在支配されているバチカンがキリスト教の偽りと共に崩壊していく未来です。
ここでは、主に『生命の木』所収のチャコンの注釈に基づいて解説を付けている(後世の注釈者による補完を含む項目もある)。この項の予言は、信奉者にとっては的確な予言ということになり、偽作説にとっては典型的な事後予言ということになる。
1.ティベリウス川の城より Ex castro Tyberis- ケレスティヌス2世(1143-1144)
- 彼はテヴェレ川(ティベリウス川)沿いのチッタ・ディ・カステッロ(Città di Castello, 城の都市の意)の出身だった。
2.追い払われた敵 Inimicus expulsus - ルキウス2世(1144-1145)
- 彼の姓カッチャネミチ(Caccianemici)は「敵を追い払う」の意。
3.山の大きさから Ex magnitudine montis - エウゲニウス3世(1145-1153)
- 彼の姓はパガネッリ・ディ・モンテマニョ(Paganelli di Montemagno, モンテマニョは大きな山、の意)だった。なお、彼の姓は文献によっては単にパガネッリやピガネッリとだけ書かれている場合もある。
4.スブッラ神父 Abbas Suburranus - アナスタシウス4世(1153-1154)
- 彼はスブッラ(Suburra)家の出身だった。
5.白き野より De rure albo- ハドリアヌス4世(1154-1159)
- 彼はイギリスのw:St Albans School (Hertfordshire)で学んだ。
6.耐え難い牢獄から Ex tetro carcere- 対立教皇ウィクトル4世(1159-1164)
- 彼はトゥリアノ牢獄で聖ニコラスのタイトルを持つ枢機卿だった。
7.ティベリウス対岸への道 Via Transtiberina- 対立教皇パスカリス3世(1164-1168)
- 彼はサンタ・マリーア・イン・トランステヴェレ大聖堂(w:Basilica di Santa Maria in Trastevere)の主任司祭だった。
- チャコンの注釈は、この予言を対立教皇カリストゥス3世に当てはめており、パスカリス3世は次の予言に当てはめられている。17世紀半ばのカリエールの注釈書では現在の形に修正されている。
9. 守護者たる雁から Ex ansere custode- アレクサンデル3世(1159-1181)
- 彼の家紋には雁があしらわれていた。
10.入り口の光 Lux in ostio- ルキウス3世(1181-1185)
- 彼はオスティア(Ostia)の司教枢機卿だった。ルキウスは Lux に通じる。
11.篩の中の豚 Sus in cribro- ウルバヌス3世(1185-1187)
- 彼の姓クリヴェッリ(Crivelli)は篩を意味し、家紋は豚だった。
12.ラウレンティウスの剣 Ensis Laurentii- グレゴリウス8世(1187)
- 彼はサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ(w:San Lorenzo in Lucina)の枢機卿で、紋章は剣だった。
13.かの者は学舎から出るだろう De Schola exiet- クレメンス3世(1187-1191)
- 彼はスコラリ(Scolari)家の出身だった。
14.牛の里より De rure bovensi- ケレスティヌス3世(1191-1198)
- 彼はボボネ(Bobone)家の出身だった。
15.徴を付けられた伯爵 Comes Signatus- インノケンティウス3世(1198-1216)
- 彼はセニ(Segni) 伯爵家の出身だった。
- 彼はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の参事会員だった。
17. オスティアの鳥 Avis Ostiensis- グレゴリウス9世(1227-1241)
- 彼はオスティアの枢機卿で、紋章は鷲だった。
- 彼はサビーナ(w:Sabina)の司教枢機卿で、紋章には獅子が用いられていた。
19. ラウレンティウス伯爵 Comes Laurentius-インノケンティウス4世(1243-1254)
- 彼は伯爵家の出身で、サン・ロレンツォ・イン・ルチーナの司祭枢機卿だった。
20. オスティアの徴 Signum Ostiense- アレクサンデル4世(1254-1261)
- 彼はコンティ=セニ(Conti-Segni)家の出身で、オスティアの枢機卿だった。
21.カンパーニアのエルサレム Hierusalem Campanie- ウルバヌス4世(1261-1264)
22.打ち倒された竜 Draco depressus- クレメンス4世(1265-1268)
- 家紋は竜を仕留めている鷲だった。
23.蛇の如き者 Anguinus vir- グレゴリウス10世(1271-1276)
- 家紋には小児を飲み込む蛇が描かれていた。
24.ガリアの説教者 Concionatur Gallus- インノケンティウス5世(1276)
- 彼はフランス(古称はガリア)南東部の出身で、説教者修道会士だった。
25.良き伯爵 Bonus Comes- ハドリアヌス5世(1276)
- 彼は伯爵家の出身で、名はオットーボノ(Ottobono)だった。
26.トゥスクルムの漁師 Piscator Tuscus- ヨハネス21世(1276-1277)
- 彼はトゥスクルムの司祭枢機卿だった。名はペドロで、漁師だったシモン・ペトロに通じる。
27.組み合わされた薔薇 Rosa composita- ニコラウス3世(1277-1280)
- 家紋は薔薇で、彼のあだ名はコンポジトゥス(Compositus)だった。
28.百合のマルティヌスの収税局 Ex teloneo liliacei Martini- マルティヌス4世(1281-1285)
- 彼の紋章は百合で、トゥールのサン・マルタン(St. Martin)司教座聖堂の参事会員で出納係だった。
29.獅子の薔薇より Ex rosa leonina- ホノリウス4世(1285-1287)
- 彼の紋章は薔薇を囲む2頭の獅子だった。
30.飼葉の中の啄木鳥 Picus inter escas- ニコラウス4世(1288-1292)
- 彼はアスコリ・ピチェーノ(Ascoli Piceno, Asculum Picenum)近くのリシャーノ(Lisciano)出身だったが、かつてはしばしばアスコリ・ピチェーノの出身とされた。
31.隠者から昇格した者 Ex eremo celsus- ケレスティヌス5世(1294)
- 彼は教皇選出前に隠遁生活を送っていた。
32.波の祝福から Ex undarum benedictione- ボニファティウス8世(1294-1303)
- 彼の紋章は波模様で、姓はベネデット(Benedetto, 祝福された者の意)だった。
33.パタラの説教者 Concionator patereus- ベネディクトゥス11世(1303-1304)
34.アクイタニアの帯線によって De fessis aquitanicis- クレメンス5世(1305-1314)
- 彼はアキテーヌ(古称はアクイタニア)の出身で、紋章は3本の帯線だった。
35.骨ばった靴職人 De sutore osseo- ヨハネス22世(1316-1334)
- 彼の姓デュエーズ(Duèze)ないしドゥーズ(D’Euse)はラテン語の ossa に由来し、父は靴職人だった。
36.分裂的なカラス Corvus schismaticus-対立教皇ニコラウス5世(1328-1330)
- 彼はコルヴァーロ(Corvaro)の出身で、この時期の対立教皇は彼だけだった。
37.冷たい神父 Frigidus Abbas- ベネディクトゥス12世(1334-1342)
- 彼はフォンフロワ(Fontfroid, 冷たい泉、の意)の修道院に所属していた。
38. アトレバテンシスの薔薇から De rosa Attrebatensi- クレメンス6世(1342-1352)
- 彼はアラス(古称はエピスコプス・アトレバテンシス)の司教で、紋章は6つの薔薇だった。
39.パンマキウスの山々から De montibus Pammachii - インノケンティウス6世(1352-1362)
- 彼はパンマキウスのタイトルをもつ司祭枢機卿で、紋章は6つの山々だった。
- 彼はフランス(古称はガリア)の子爵家の出身だった。
41.強き処女からの新参 Novus de virgine forti - グレゴリウス11世(1370-1378)
- 彼はサンタ・マリーア・ヌオーヴァ(Santa Maria Nuova, 新しい聖マリアの意)の枢機卿で、姓はボフォール(Beaufort, 強き美しさの意)だった。
42.使徒の十字架によって De cruce Apostilica- 対立教皇クレメンス7世(1378-1394)
- 彼は12使徒のタイトルをもつ枢機卿で、紋章は十字架にみえるデザインだった。
43.コスメディンの月 Luna Cosmedina- 対立教皇ベネディクトゥス13世(1394-1417)
- 彼の紋章は月であり、サンタ・マリーア・イン・コスメディン(w:Santa Maria in Cosmedin)のタイトルをもつ枢機卿だった。
44.バルキノの分裂 Schisma Barcinonium - 対立教皇クレメンス8世(1423-1429)
45.出産の地獄によって De inferno praegnanti- ウルバヌス6世(1378-1389)
- 彼の姓はプリニャノ(Prignano)で、ナポリ場末のインフェルノ(Inferno)と呼ばれる場所の出身だった。
46.混成の立方体 Cubus de mixtione- ボニファティウス9世(1389-1404)
- 彼の紋章は斜めに格子縞の帯が横切るものだった。
47.より良き星によって De meliore sydere - インノケンティウス7世(1404-1406)
- 彼の姓はミリョラーティ(Migliorati)で、紋章は流星だった。
48.黒き橋からの船乗り Nauta de Ponte nigro- グレゴリウス12世(1406-1415)
- 彼は船乗りとも縁の深い水の都ヴェネツィアの出身で、同市の司祭やコンスタンティノポリス総大司教をつとめた他、ネグロポント(w:Negropont)の教会から司祭禄を受け取る立場(Commendatarius) にあった。
49.太陽の鞭 Flagellum solis - 対立教皇アレクサンデル5世(1409-1410)
- 彼の紋章は太陽だったが、そのデザインは、中央の円から鞭のように曲がりくねった光線が八方に伸びているものだった。
- 彼はセイレーンを市紋とするナポリの出身で、自身の紋章は鹿だった。
51.金のベールが付いた冠 Corona veli aurei- マルティヌス5世(1417-1431)
- 彼の紋章は円柱の上に載った金の冠だった。
- 17世紀の版では「金のベールが付いた円柱Columna veli aurei」となっているものもある。その場合も解釈は基本的に同じであるが、コロンナ家(円柱の意)の出身であることが付記されることがある。
52.神々しい雌狼 Lupa coelestina- エウゲニウス4世(1431-1447)
- 彼はセレスティン会(w:Celestines)の修道士で、市紋に雌狼を用いているシエーナの司教だった。
53.十字架の恋人 Amator Cruces- 対立教皇フェリクス5世(1439-1449)
- 彼の名アメデーオ(Amedeo)は「神を愛する者」の意で、紋章は十字架だった。
54.月の節度によって De modicitate Lunae- ニコラウス5世(1447-1455)
55.草を食べる牛 Bos pascens - カリストゥス3世(1455-1458)
- 彼の紋章は草を食べる牛だった。
56.山羊と宿屋によって De Capra et Albergo - ピウス2世(1458-1464)
- 彼はカプラニカ(Capranica)枢機卿とアルベルガト(Albergato)枢機卿の秘書だった。
57.鹿と獅子によって De Cervo et Leone - パウルス2世(1464-1471)
58.より小さき漁師 Piscator minorita– シクストゥス4世(1471-1484)
- 彼は漁師の息子で、小さき兄弟会(Ordo Fratrum Minorum)の修道士だった。
59. シチリアからの先駆者 Praecursor Siciliae- インノケンティウス8世(1484-1492)
60.門のアルバヌスの牛 Bos Albanus in portu- アレクサンデル6世(1492-1503)
61.小さき人から De parvo homine- ピウス3世(1503)
- 彼の姓ピッコリミニ(Piccolimini)は piccoli uomini(小さき人)に近い。
- 彼の紋章はユピテルの象徴である樫だった。
63.ポリティアヌスの焼き網 De craticula Politiana- レオ10世(1513-1521)
- 彼はアンジェロ・ポリツィアーノの門下生だった。また、父の名ロレンツォ(Lorenzo)は焼き網の拷問で殉教した聖ラウレンティウス(Laurentius)に対応する。
64.フロレンティウスの獅子 Leo Florentius - ハドリアヌス6世(1522-1523)
- 彼の紋章は獅子だった。また、父の名がフロレンス(Florens)であったとされる。
65.丸薬の花 Flos pilei aegri -クレメンス7世(1523-1534)
- 彼の紋章には6つの丸薬と3つの百合が用いられていた。
67.山の冠によって De corona montana-ユリウス3世(1550-1555)
- 彼の紋章は山と、冠状の環になった棕櫚の葉だった。
68. 取るに足らない小麦 Frumentum flocidum- マルケルス2世(1555)
- 彼の紋章は鹿と小麦であり、その在位期間はわずか21日で教皇としての事績は取るに足らないものだった。
69.ペトロの信仰によって De fide Petri- パウルス4世(1555-1559)
- 彼のフルネームは、ジョヴァンニ・ピエトロ・カラファ(Giovanni Pietro Carafa)で、ピエトロはペトロに通じる。また、カラファの最後の音節ファを信仰を意味するフェ(西語fe)やフォワ(仏語foi)と結びつける者もいる。
- 彼はメディチ家(メディチは「薬」に由来する)出身だった。
71.林の中の天使 Angelus nemorosus- ピウス5世(1566-1572)
72.丸薬の中心の物体 Medium corpus pilarum-グレゴリウス13世(1572-1585)
- 彼は丸薬を紋章とするピウス4世によって枢機卿に任命された人物であり、彼自身の紋章は中心に竜が配されたものであった。
73.徴の中央の心棒 Axis in medietate signi- シクストゥス5世(1585-1590)
- 彼の紋章は大きく描かれた獅子の中央を斜めに帯線が横切るものだった。
74.天の露によって De rore coeli- ウルバヌス7世(1590)
- 彼はロッサーノ(Rossano)の大司教だった。そこの樹液はマナもしくは「天国の露」と称された。他に、Rossano はRos(露の意)を含んでおり、彼の父親の名がコスモ(Cosmo, 天、宇宙の意)だったことと結び付ける者もいる。
『生命の木』では予言のみが示されていた残りの37人分と最後の散文 [編集]
厳密に言えば『生命の木』では75~77番は対応する教皇名だけは書かれている。以下の解説は、信奉者たちの解釈の一例である。紋章などと結びつけられない場合、解釈は多様化する傾向があり、統一的な見解の存在しないものも少なくないし、かなり抽象的な解釈しか与えられていないものもある。逆に定説化した解釈であっても、事実関係の捏造によって当たったことにされている場合もある。懐疑派はそれらの解釈は単なるこじつけとしか見ていない。ウィキペディアとして、このような予言や解釈を支持するものではないことは重ねて強調しておく。
75. 町の古さによって De antiquitate Urbis- グレゴリウス14世(1590-1591)
- 彼は古都ミラノの大司教だった。
- 上述の通り、偽作説では、オルヴィエートを想定していたと見る。
76.戦時の篤信の都 Pia civitas in bello- インノケンティウス9世(1591)
- 彼はエルサレムの名誉総大司教だった。ほか、この時期に旧教同盟がアンリ4世に強く抵抗していたパリを予言していたとする解釈もある。
- 偽作説の中には、これもオルヴィエートと解釈できる(つまり、シモンチェッリが選出される機会を2度設定していた)とする指摘がある。ただし、結局シモンチェッリは教皇に選ばれることはなかった。
- 彼の紋章のデザインは、一本の直線に何本もの直線が直交するものであり、あたかも多重のローマ十字架(教皇十字架)であるかのように見えた。
78.波打つ人 Undosus vir-レオ11世(1605)
- 彼の在位期間はわずか26日であり、教皇としては、寄せては消える波のような儚い存在だった。
79.邪悪な種族 Gens perversa- パウルス5世(1605-1621)
- 彼の紋章は鷲と竜であり、これは紋章学では邪悪な種族と呼ばれるという。
80.平和の煩悶の中で In tribulatione pacis-グレゴリウス15世(1621-1623)
- 彼は平和主義者として知られたが、それゆえヴァルテッリーナ(w:Valtellina, 当時プロテスタントの牙城と化していた)の扱いに苦悩した。
81.百合と薔薇 Lilium et rosa- ウルバヌス8世(1623-1644)
- 彼の在位期間は三十年戦争の最中に当たっており、フランス(百合)とイギリス(薔薇)の動向が注視された時期であった。他に、彼は百合を市紋とするフィレンツェの出身で、百合や薔薇とも縁の深い蜜蜂を紋章としていた、と解釈する者もいる。
82.十字架の法悦 Jucunditas crucis- インノケンティウス10世(1644-1655)
- 彼は聖十字架挙栄祭の祝日(9月14日)に教皇に選ばれた。
83.山々の守護者 Montium custos- アレクサンデル7世(1655-1667)
- 彼の家紋は星を戴く3連の小山だった。
84.白鳥たちの星 Sydus Olorum- クレメンス9世(1667-1669)
- 彼は教皇選出時にバチカンの「白鳥の間」の管理者だった。また、彼はステッラータ川(Stellata, 星の意)流域で生まれたとする者もいるが、そのような川が実在するかも含め定かではない。
85.大きな川より De flumine magno- クレメンス10世(1670-1676)
- 彼はローマの生まれであり、同市にはテヴェレ川が流れている。
86.貪婪な獣 Bellua insatiabilis- インノケンティウス11世(1676-1689)
- 彼の紋章は鷲と獅子だった。「貪婪な獣」(単数)は、このいずれかを指しているとされる。
87.栄光の悔悛 Poenitentia gloriosa- アレクサンデル8世(1689-1691)
- 彼は聖ブルーノの祝日(10月6日。聖ブルーノは清貧と祈禱を重視するカルトジオ会を設立した)に教皇に選ばれた。この教皇は在位期間中に「栄光の悔悛 Poenitentia gloriosa」と刻んだコインを発行したとされる。
- ちなみに、この教皇が選ばれた時期には、メネストリエが偽作説を提示したことで論争になっていた(当然、メネストリエは「栄光の悔悛」の解釈も特定性に乏しい曲解と批判している)。
88.門の熊手 Rastrum in porta- インノケンティウス12世(1691-1700)
- 彼はナポリ城門近くに邸宅のあったピニャテッリ家の出身で、この一族はピニャテッリ・デル・ラステッロ(Pignatelli del Rastello, ラステッロは熊手の意)と呼ばれることがあった、と解釈される。しかし、ラステッロなどという通称は史料的に裏付けられないとする批判は、懐疑派は勿論、一部信奉者からさえも提示されている。
89.花々に囲まれた者 Flores circundati- クレメンス11世(1700-1721)
- 出身地ウルビーノの市紋が花飾りと解釈される。しかし、事実ではない。
90.良き宗教によって De bona religione- インノケンティウス13世(1721-1724)
- 彼は何人もの教皇を輩出したコンティ家の出身だった。
91. 戦争中の軍人 Miles in bello- ベネディクトゥス13世(1724-1730)
- 彼はジャンセニズムに強い対決姿勢を示した教皇の一人だった(ただし、彼が対ジャンセニズム問題で特にめざましい業績を挙げたということはない)。
92.高い円柱 Columna excelsa- クレメンス12世(1730-1740)
- 彼はフラスカーティの司教枢機卿だった。この都市のすぐ近くにはコロンナ(円柱の意)という町がある。
93.田園の動物 Animal rurale- ベネディクトゥス14世(1740-1758)
- ほぼ同時代の神学者ジャック=ベニーニュ・ボシュエ(Bossuet は、ラテン語の「鋤に慣れた牛 Bos suetus aratro」との言葉遊びになる)と関連付けて解釈されることがある(ただし、ボシュエはこの教皇の登位前に既に没している。また、ベネディクトゥス14世の生涯との関連も今ひとつ明瞭ではないし、この教皇がガリカニスム問題に特別熱心だったということもない)。ほか、「田舎の動物」はフリーメイソンリーやフランス革命の隠喩だとする解釈もあるようだが、何故そう言えるのかという根拠が判然としない。
94.ウンブリアの薔薇 Rosa Umbriae- クレメンス13世(1758-1769)
- 彼はウンブリア地方リエーティ (現在のウンブリア州には含まれていない)の総督だったが、彼自身やリエーティの紋章が薔薇だったというのは事実ではない(単にリエーティは香しい薔薇で有名な場所だ、と解釈されることもある)。
95.早い熊 Ursus velox- クレメンス14世(1769-1774)
- 家紋が走る熊と言われるが、事実ではない。17世紀の版では「鋭い視線Visus velox」となっているものもあるので、そちらで解釈しようとする者もいる。
- 偽作説では、熊(Ursus)はオルシーニ家(Orsini)と結びつきのある人物の選出を想定した予言が外れただけ、との見解もある。
96.使徒の如き巡礼者 Peregrinus Apostolicus- ピウス6世(1775-1799)
- 彼はフランス革命の影響で、最期の2年を転々と過ごすことになった。
97.強欲な鷲 Aquila rapax- ピウス7世(1800-1823)
- 鷲を紋章とするナポレオン・ボナパルトとの確執が知られている。
98.犬と蛇 Canis et coluber- レオ12世(1823-1829)
- 彼はカルボナリやフリーメイソンリーに強い対決姿勢を示した。犬と蛇はそれらの秘密結社の隠喩とされる。
- 17世紀の版では「パンと蛇Panis et coluber」となっているものもあるが、信奉者たちからは無視されている。
99.篤信の人 Vir religiosus-ピウス8世(1829-1830)
- 彼の在位期間は短いものであり、回勅は一度出されたに過ぎないが、そこでは宗教への無関心の姿勢などを強く批判していた。
- 彼はバルネオ(Balneo, 浴場の意)で設立されたカマルドリ会(w:Camaldolese)の修道士だった、と解釈されることが多いが、そもそもカマルドリ会の起源はバルネオと無関係であるという。
101.十字架の十字架 Crux de cruce- ピウス9世(1846-1878)
102.空中の光 Lumen in coelo- レオ13世(1878-1903)
- 彼の紋章は青地に流星だった。
103.燃えさかる火 Ignis ardens- ピウス10世(1903-1914)
104.人口が減らされた宗教 Religio depopulata- ベネディクトゥス15世(1914-1922)
105.大胆な信仰 Fides intrepida- ピウス11世(1922-1939)
106.天使的な牧者 Pastor angelicus- ピウス12世(1939-1958)
- 彼自身がある種の幻視者とされるなど、神秘的な要素をもつ人物だったと解釈される。
107.牧者にして船乗り Pastor et nauta- ヨハネ23世(1958-1963)
- 彼は水の都ヴェネツィアの総大司教だった。
- 真偽は不明だが、この教皇が選出されたコンクラーヴェの期間中、アメリカ人枢機卿スペルマンは、この予言を意識して、羊を載せた小舟を使ってテヴェレ川を往復したという(この出典はPeter Bander, The Prophecies of Malachy, 1969のようである)。
- 17世紀の版では「牧者と自然Pastor et natura」となっているものもあるが、信奉者たちからは無視されている。
108.花の中の花 Flos florum- パウロ6世(1963-1978)
- 彼の紋章は「花の中の花」とも言われる百合だった。
109.月の半分によって De medietate lunae- ヨハネ・パウロ1世(1978)
- 彼は半月の日に生まれた。また、教皇就任の日に下弦の月だったことなどと結びつけられることもある。
110.太陽の働き(作用)によって De labore solis- ヨハネ・パウロ2世(1978-2005)
- 彼は1920年5月18日[1]インド洋上で部分日食が観測された日に生まれ、2005年4月2日に84歳で他界した。2005年4月8日[2]に南太平洋から中南米にかけて、珍しい「金環皆既日食」が起こった。
111.オリーブの栄光 Gloria olivae- ベネディクト16世(2005-)
(112?.)
ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう In p’secutione. extrema S.R.E. sedebit.
ローマびとペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。Petrus Romanus, qui pascet oues in multis tribulationibus: quibus transactis ciuitas septicollis diruetur, et Iudex tremendus judicabit populum suum. Finis.
- この散文は、『生命の木』やルスカの版では2段落に分かれていた(上記の訳はその区切り方に従った)。これを一段落にまとめたのは、1624年のメシンガムの版が最初であり、以降その読み方が、主として信奉者の間では踏襲されている(かつては、信奉者の中には「オリーブの栄光」の後に「極限の迫害の中で」と「ローマびとペトロ」に対応する2人の教皇が控えていると解する者もいたようである)。
- これを112番目と見なすことには異説がある。オリジナル(信奉者にとっては聖マラキの手稿、偽作説にとっては1590年の手稿)には含まれていなかったのではないかという疑問や、前段が結句で後段はチャコンが勝手に付け加えた注釈にすぎないという見解が提示されている。これらの見解では、予言本体は111番目で終わっており、ローマびとペトロ云々はそもそもこの文書と無関係だった、ということになる。
- ちなみに前半については、(一般にp’secutione.が「迫害 persecutione」の略と見なされており、直後のピリオドは無視されているのに対し、prosecutioneの略と見た上でピリオドも活かし)「(予言はここで)区切り。ローマ聖教会は終末までその地位にあるだろう」と意訳する者もいる。
- 全てひとまとまりと捉える信奉者の解釈では、『ヨハネの黙示録』からの流用とする説や、(初代ローマ教皇ペトロの名は、いまだかつてどの教皇も襲名していないことから)ニセ預言者とする説などもある。ちなみに、一般に「7つの丘の町」はローマのことであるが、信奉者の中にはニューヨーク と曲解する者もいるようである。
112. ローマ聖庁が最後の迫害を受ける間、ローマ人ペテロが教皇に就く。彼は多くの苦難の渦中で、子羊を司牧する。この苦難が終わると、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下されるのである。 終わり。
In persecuetione extrema S.R.E. sedebit Petrus
Rom. qui pascet oves in multis tribulationibus ;
quibus transactis,civitas septicollis diruetur,et
Judex tremendus judicabit populum suum.
In persecuetione extrema S.R.E. sedebit Petrus
Rom. qui pascet oves in multis tribulationibus ;
quibus transactis,civitas septicollis diruetur,et
Judex tremendus judicabit populum suum.
百詩篇Ⅱ.52
夜間 何日間か大地が揺れるだろう
春に二度の震動が続くのだ
コリントスとエフェソスが二つの海を泳ぐだろう
戦場の剛勇の者二人が戦いを起こす
百詩篇Ⅲ.3
火星 水星そして月が交会する
南方で大旱魃が生じよう
アジアの奥地で大地が震えると噂されるだろう
そのときコリント エフェソスともに苦難に陥る
(百詩篇X.58)
哀悼の時 狡猾な国が
若きエマチア人(ギリシャ人)に戦いを仕掛けるだろう
フランス震撼 船に危険がせまろう
マルセイユは試され 西側では対話
コリントスとエフェソスというのは、ギリシャとトルコ辺りです。
そして、それらは、ちょうどキリスト教圏とイスラム教圏の接点の部分にあります。