パイン・ルート・オイル

 カゴ・メー カゴ・メー
カグ・ノェ・ナカノ・トリー
イツィ・イツィ・ディユゥー
ヤー・アカ・パニティ
ツル・カメ・スーベシタ
ウーラッシュ・ショーメン・ダラ
  




「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ 尚 交戦ヲ継続セムカ 終二我力民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ」 







戦中に、南方からの油を頼る事なしにパイン・ルート・オイルから

終戦直前十年分の燃料を創り出した。更に

「太陽と水と大地」があれば永久に生産出来る

バイオ燃料を創り出す事に成功した。

……原爆後の原子力平和利用の米国の圧力

……日本も、原発組織の金儲けで、、

……バイオ燃料の発展が阻止されて来たのでしょう。





海軍機関学校同窓会 木山正義名誉会長白寿記念同窓会

                              山田福太郎 報告

海軍機関学校同窓会 木山正義名誉会長 白寿記念同窓会は、平成19年4月8日、東京・銀座の銀座インズⅡのアサヒスーパードライにおいて開催されました。


参加者は木山正義名誉会長、西島安則会長、来賓齋藤 隆海幕長ご夫妻はじめ73名の盛会でした。55期は志賀代表幹事、井上(雄)、角田、澤田(治)、塩谷、谷崎、玉川、成田、山田(福)の9名。

当日会場に於いて、配布された小冊子の内容は
   御略歴
   

責任者の判断と決断
    ~燃料に関する回想~
    (平成11年9月13日 海上自衛隊海上幕僚幹部における講演)
大東亜戦争後期における新燃料戦備
     (鎮魂と苦心の記録より抜粋)
でしたが、「責任者の決断と判断」は、木山名誉会長のご了解を得て、たんご会誌33号にその全文を掲載したので、ここでは「大東亜戦争後期における新燃料戦備」の全文を掲載することにします。






大東亜戦争後期における新燃料戦備
                   木 山 正 義(40期)


Ⅰ.燃料問題の重要性(陛下と燃料)
 上海を発ち揚子江を遡江して宜昌に向う途中、上海は勿論のこと南京、九江、漢ロ、等、揚子江沿岸の多くの都市に見受けられたのは、総て外資系石油会社の油槽所であり、英米の砲艦が碇泊して居た。そして其処には最早支那の主権は棲めて希薄であった。
 第1次大戦時、「フランス」の首相「クレマンソー」は「油の1滴は血の1滴である」と絶叫して、米国に向け石油の供給を要請し、其の援助により独軍の猛攻を防衛した史実は余りにも有名であるが「石油を制する者は世界を制す」という言葉を、揚子江沿岸に見る思いがした。
 石油の重要なことは今更説明の要もなく、国民等しく承知している。特に海軍々人は誰よりもその重要性を認識している。何故ならば如何なる巨艦、精鋭機といえども石油がなければ一塊の鉄屑にすぎないということを熟知しているからである。にもかかわらず平時に於いて燃料の重要性を心から自覚している人は、まことにすくない。
 それにしても思い出されることは
天皇陛下が常々燃料問題に御関心深くあらせられることである。
 元海軍中将伯爵、柳原博光氏(機20期)は其の回顧録「石油の波を想う」の「むすび」の中に次のように述懐している。
 「昭和4年5月28日、天皇陛下が、海路関西方面に御巡幸の節、御召艦那智(排水量1万トン、速力35.5ノット)にて横須賀を御出港、大島に向う航海中、同艦の機械室、缶室、を御巡視なされた。特に缶室に於いては御自ら着色硝子も御手にとられ、炉内に於ける燃焼状況をつぶさに御覧になられ、案内役の私(当時海軍省軍務局々員、中佐)の説明を熱心にお聴き遊ばされた。この時陛下が燃料問題に深い関心をお持ちであるかを知り真に感激に堪えなかった」と。
 私は、この話を同中将より直接聞き、一般に艦長でも缶室に入り、燃焼状況を見る者は稀であり、まして司令官等将官に至っては皆無に等しい事を思い、真に感無量なるものがあった。
 更に又、大東亜戦争開始に際しても、陛下は燃料保有量について御軫念遊ばされ、昭和19年以降、しばしは米内海軍大臣に対し、燃料問題について御下問遊ばされたと承っている。
 特に昭和20年5月10日第三海軍燃料廠が大空襲を受け残存重油の殆んどを焼失した時、米内海軍大臣に対し「……油は戦争になくてはならぬ大事なもの故、特に大切にするように……」と、いう意味のお言葉があり、
 又横浜川崎地区の大空襲時、日本石油、横浜製油所が被爆し、約3日間に亘り燃え続けたが、黒煙天に冲し、海軍省からも遠望することが出来た。其の時陛下はこれを大内山から御覧になり、米内海軍大臣に御下問遊ばされた。大臣は「あれは松根油の貯蔵「タンク」に引火して燃えているのであります……」と御答え申し上げた。陛下は……「松根油は多くの国民が生産したものというではないか。早く消火するように……」という意味のお言葉があったという。
 以上は米内海軍大臣が軍需局長に対し申されたことを、我々に伝達されたのであるが、真に恐懼にたえなかった。
 大戦中、陛下から艦船、砲熕、兵器等に関し御下問があったことは寡聞にして聞かない。
 燃し、燃料に関しては上述の如く、しばしば御下問があった。このことは陛下の燃料の重要性に対する深い御理解によるものであり、大東亜戦争中燃料戦備に関与した者として感銘にたえない。
 更に又、戦後、陛下には、国民激励のため日本国内各地を御巡幸の砌、産炭地を御視察なされ、地下、数千米の炭坑内深く御覧遊ばされた。
 この事は燃料資源に乏しい日本の「エネルギー」問題に就いて深く御軫念遊ばされ給う、大御心であり、洵に恐懼にたえない処である。
 思うに今や「エネルギー」問題は益々重大化しつつある。
 従って国家の宰相たる者は、国家経綸に当り、教育問題、国防問題、そして更に「エネルギー」問題、これ等、3つの基本問題に就いては、自らこれに対処する、の気迫を以て施策すべきであると思う。



Ⅱ.大東亜戦争末期に於ける新燃料戦備
 燃料戦備としては、大正初期以来一貫して「貯油政策」が堅持されて来た。
 昭和の初期以来燃料の国内自給態勢の確立が叫ばれ、石炭液化等人造石油関係に対し、我が海軍は燃料関係技術者の大半と巨額の資金を投入したが、海軍燃料戦備上から見た場合、殆んど成果を得ることなく終息した。
 従って我が海軍の燃料戦備は「貯油」に終始したと言っても過言でなく、大東亜戦争突入までこの政策が継続された。
 大東亜戦争を決意するに際し、日本国政府並に大本営の燃料問題に対する大綱は、開戦劈頭南方油田地域を占領し、この石油を現地処理又は内地に還送し、国家の必要とする燃料を充足し、以て戦争遂行の基盤を確立することであった。
 この「南方油依存政策」は緒戦の大勝により成果を納め、我が海軍も又、右国策を基礎として燃料戦備を策定し、昭和19年中期までその大綱は殆んど変ることがなかった。
 要するに、我が海軍の燃料戦備は大東亜戦争前の「貯油戦備」から、開戦と同時に「南方油依存戦備」に移行した。従ってこの「南方油依存戦備」は戦局の推移に伴い、当然逐次変革さるべきであったにかかわらず、遺憾ながら殆んど無為のまま推移した。
 昭和17年「ミッドウェイ」海戦以降太平洋全域に亘り戦勢次第に我に利あらず、もし、このまま推移せば、所謂ジリ貧となることを恐れた我が海軍は、昭和19年6月、起死回生の策として、其の保有する全航空兵力と艦隊を以て一挙に退勢を挽回すべく、「あ号作戦決戦」を発動した。然し全く不覚にも、我が航空艦隊は再起不能と思われる程の壊滅的打撃を受け、惨敗を喫した。
 其の結果「サイパン」、「テニアン」、「グァム」を失い、我が国家防衛上絶対確保しておかねはならぬ「絶対国防圏」(昭和18年9月30日の御前会議で決定された戦争指導大綱に基づく、千島、小笠原、内南洋西部ニューギニアの防衛線)を突破され、戦局の前途は真に容易ならざを様を呈するに至った。
 このような戦局を迎え、海軍省軍需局は昭和19年5,6月、燃料関係人事の異動を行い、今迄の一切のゆきがかりを捨て、新しい観点に立った「新燃料戦備」を緊急策定すべく凡ゆる努力を傾注した。
 其の結果昭和19年9月、未だかつて先人達が夢想だにしなかった方策、未来永劫、再び実現しないであろう、全く画期的な「新燃料戦備」を策定した。
 そしてこの「新戦備」を全国民の大きな活力によって遂行し、以て統帥部の要望する燃料を確保すべく努力した。    
 以下「新燃料戦備」の中核であった、松根油、及び「アルコール」に就いて簡記する。

  第1.松根油に就いて
 松根油は古くから採取されていたが真に微々たる量で、軍用燃料として使用されたことはなかった。この松根油が軍用燃料として採用されるに至った動機は次の通りである。
 乃ち昭和19年6月海軍省軍需局の「燃料生産、企画」(燃料戦備)の担当局員に任ぜられたその翌月、すなわち昭和19年7月下旬、軍令部から私のもとに一連の情報電報が届けられた。
 それは独乙駐在小島秀雄武官からの電報で「独ではパイン・ルート・オイルから航空燃料を生産している」という情報であった。
 この情報電報が松根油開発の発端である。
 (注)「パイン・ルート・オイル」という英語はない。然し直訳すると「松・根・油」となる。蓋し情報としては名文である。
 当時、我が海軍は燃料の窮乏に苦悩し、昭和19年2月以降陸軍に対し航空燃料3万トンを融通してもらいたい、と再三に亘り依頼し、海軍省軍務局長、陸軍省兵備局長の間に折衝が続けられ、同年6月に於ても尚継続せられていた。
 以上のような燃料枯渇時に前任者から申継を受けたが、其の時、すなわち19年6月下旬に於ける我が海軍の内地保有航空燃料は僅かに3万トン弱に過ぎず、其の保有量の余りにもすくないことに愕然とした。
 このような想像を絶する燃料窮乏時であった為、着任以来、凡ゆる手段を講じて、航揮の取得に努め、新燃料資源の探索に八方手をつくしている時、松根油に関する情報を得た。
 所謂「溺れる者藁をもつかむ」という心境でこの松根油に関する調査を開始した。
 最初は左程大きな期待を持たず、数万トンでも、という気持で、農商省山林局長鈴木一氏(鈴木貫太郎氏長男)を訪問した処、松根が全国に約20数億貫あることが判明し、更に又松根油統制組合幹部の証言で、松根から其の20ないし25%の松根油が採取可能なことを知り得た。
 更に又東大工学部桑田勉教授及び第一海軍燃料廠藤本春季技術中佐に照会の結果、松根油を適当に処理する事により揮発油が3割近く生産可能であろうとの説明を得た。
 以上を総括するに、国内原油生産量の実に10ヶ年分に近い松根油が生産可能であり、これを原料として100数10万トンに及ぶ揮発油、重油類が生産し得ることを確認した。
 従って、松根油開発を緊急第一施策として其の実行に着手した。
 然し、当時我が海軍は局地戦闘機「秋水」を決戦兵器として採択、19年六号委員会を設置して「秋水」の戦力化に努力中であり、海軍省軍需局も又局内に特薬部を新設して「秋水」用推進薬である呂号薬の開発、生産に総力を傾注しつつあった。
 以上のような状況下であった為松根油の開発は真に困難なものがあった。
 然し東大工学部桑田教授等より呂号薬の量産化は容易でなく1年以上の期間を必要とするであろうとの説明を聞き、緊急戦力化の可能である松根油の開発は絶対に必要であると判断し、不退転の決意を以て敢行することとし、関係部局の啓蒙に努力した。
 其の後次第に松根油の重要性が認識せられ緊急戦備として強力に推進されるに至った。
 すなわち先ず第1は、松根の抜根と乾溜である。軍務局は「軍が中核となり是を実施すべし」と提案した。然し軍需局としては松根油の特殊性に鑑み、農商省を中心とし、全国民の活力による生産態勢をとらなければ松根油の開発は絶対に不可能であると主張した。
 其の結果、陸、海軍とも軍需局案に賛成し、国民中心の生産態勢によることとなった。
 すなわち全国津々浦々に散在する20数億貫の松根は、老若男女を問わず、全国民の手によって極めて順調に抜根作業が実施された。
 次に松根乾溜釜による松根油の生産であるがこれは一重に乾溜釜並に関連装置の整備如何にかかった。乾溜釜関係の工事が遅延し戦備推進上不都合を生じた。
 次に松根油を精製し、航揮等の生産であるが、先ず第1段階は松根油を最寄りの海軍燃料廠又は民間製油工場に集荷製品化することとし、第2段階は、本土決戦を予想し、松根油の精製設備は小型で分散方式をとらなければならないとして、小型接触分解設備、小型簡易改質設備を整備し「これを国土防衛兵力の後方に展開設置することとした。此の計画は、20年2/4期末までに整備する予定であったが、第一海軍燃料廠に於ける設計が手間どりこれ又遅延せざるを得なかった。
 最後に最大の問題となったのは、これ等の整備に要する所要資材の確保と工作能力の問題であった。
 松根油の生産計画は、前述の通り呂号薬等の影響を受け、真剣に着手し始めたのは、9月中旬以降でありこれを推進するに要する鋼材其の他の所要資材の割当は零であった。従って緊急戦備促進部会に於て松根油並に「アルコール」開発を緊急実施項目として、所要資材の割当を要求せる処、当時は前述の「秋水」の外、3カ月で南方油300万トン緊急還送等の問題に忙殺されていたため、「松根油とは何ぞや」、「200万トン生産可能なりや」、「すぐ戦力化出来るか」等、厳しい質問が集中した。之に対し「確信あり」と答えると共に「松根油以外に南方油途絶後の国内燃料資源あらば伺い度い」と述べた処、終に松根油並に「アルコール」生産に関し今後(呂)と同様(燃)との記号を使用し、重要戦備とすることに決定した。
 特に燃料戦備上特記しておきたいことは、「松根乾溜釜」等の製作に要する資材は特攻兵器用資材を削減して、之に充当するという、異例の決定を見たことである。
 更に又松根油関係諸装置の工作整備は、軍需局関係の力では到底不可能であり、艦政本部が主軸となり、あの激戦下、資材逼迫の時にもかかわらず計画通り美事に実行した。今更ながら艦政本部の驚くべき底力を痛感した。
 以上松根油に関する其の開発の動磯、松根の抜根乾溜の方式並に松根油の精製等に就いて述べたが、今次大戦の各種戦備中、松根油関係ほど計画通り進展したものは他に例を聞かない。其の成功のもとは、全国民が松根油生産の中核となったこと、機器装置の製作を艦政本部が直接これに当った為である。
 乃ち終戦時に於いては松根油保有量は約5万トンに及び1カ月生産量も1.5万トン以上(海軍地区のみ)に達した。
 而して、日満支燃料自給対策上松根油は石油系基礎燃料に代るものとして大きな役割を果した。


  第2、「アルコール」燃料に就いて
 元来「アルコール」(「エチルアルコール」又は「エタノール」を意味する。以下同じ)を我が海軍に於いては最初から航空機用として使用され、その歴史は浅く、大東亜戦争中期以降であり、其の経過を簡記すると次のとおりである。
 海軍は最初「アルコール」を航空揮発油の耐爆剤として研究した。
 然し大東亜戦争中期以降、航空燃料の不足を補うため増量剤、乃ち「アルコール」を混合燃料として使用した。
 其の後戦局次第に急迫し、南方油の還送も杜絶するに及び、石油系航空揮発油に代り「アルコール」燃料を全面的に使用せんとした。
 以上が海軍に於ける「アルコール」燃料の概要である。
 昭和19年6月海軍燃料の生産企画の担当を命ぜられ、航揮の国内保有量僅に3万トン弱であることを知り、今後如何なる方策を以て我が海軍戦力の中核である航空兵力の要望する燃料を充足すべきか苦慮し、八方手段を尽した結果、同年9月上旬、概ね次のような航空燃料に対する戦備方針を策定した。
 ・「アルコール」は差し当り航揮に混用し、其の増量を計る。
・石油、石炭系からの航揮は貴重な基礎燃料として、出来る丈海空戦用に温存する。
・近い将来生産が予定されている松根油からの航揮は石油系航揮に代る基礎燃料であり、特に南方油途絶後は国内に於て期待出来る唯一無二の貴重な基礎航揮となる。
・松根油は資源的に見て二、三年の寿命である。然し統帥部の要求通り採油すれば一カ年半程度で枯渇する。
 ・従って航空機用燃料は、今後二、三年後「アルコール」専用時代に移行する。
概ね以上の構想に基き航揮戦備を推進した。以下、「アルコール」燃料の生産計画、原料問題、及び「アルコール」燃料の使用強化、の3項に就いて簡記する。

  ○「アルコール」燃料の生産計画
 (1)「アルコール」取得の緊急措置
 前述の通り「アルコール」に関して、海軍は全く無関係で軍需省燃料局醗酵工業部が其の中心であった。従って前記の航空燃料戦備方針を策定する前、醗酵工業部保有の全「アルコール」を醗酵工業部より譲り受け、且つ、今後生産する「アルコール」も海軍から原料を支給することを条件に全部取得した。
 当時の工業部長は後の参議院議員赤間文3氏、課長は後の電源開発理事の石井由太郎氏であった。其の後陸軍より当方並に軍需省に対し「アルコール」も物資動員計画に計上すべきであるとの強い申し入れがあり、以後両軍並に軍需省協議の上「アルコール」の生産配分を行う事となった。然しそれまでに軍需局が取得した「アルコール」は数1000トンに及び大きな戦力となった。
 (2)「ブタノール」工場の「アルコール」への転換
 我が海軍は⑤計画(昭和17年7月策定)により「ブタノール」から「イソオクタン」を生産する厖大な計画を実行中であった。この計画を全面的に中止し「アルコール」生産設備に変更した。之に対し燃料関係者の一部より反論があったが航空本部とも協議し「戦局の前途に対する見透し無き者の意見」として排除した。蓋し「ブタノール」製造施設の「アルコール」への転換は極めて適切であった。
 (3)合成酒、一般酒造場の動員
 航空燃料戦備上最も大きな期待を以て推進したのは合成酒並に酒造場の「アルコール」製造施設への転換であった。
 乃ちこれ等の工場設備は小型であり、全国に散在しており、敵の空襲に対して極めて強靱である。これ等の酒造場に簡易精溜装置を装備することにより理想的な航空機用「アルコール」燃料生産工場とすることが出来た。
 おそらく、今次大戦中における全戦備中「アルコール」生産戦備は松根油と共に対空防衛生産設備として白眉と言っても過言でない。
 尚此処に次の事項を追記しておきたい。
 この理想的な航空壊用「アルコール」の生産の核である酒造業界は大蔵省(主税局長)所管である。この酒造業界動員の際、当時の主税局長池田勇人氏(元総理、故人)と共に関東地区酒造家を巡視の際、同氏曰く「……国家非常の際海軍々用機燃料を生産する業界の指導者となろう等とは夢想だにしなかった。引き受けた以上必ずやる」と、決意のほどを示した。その気概は、軍人に優るとも劣るものではなかった。当時主税局二課長、前尾繁三郎氏(元衆議院議長)同局事務官、吉田信邦氏(元北海道東北開発公庫総裁)も池田
氏と同様真剣に協力した。
 其の時次の事を予想せざるを得なかった。「何れ近い内に、海軍燃料廠は無用の長物になるか、「スクラップ」になってしまうであろう。その時、この人達が所管する酒造業界が燃料戦備を支える中心となるであろう」と。
 以上の通り大東亜戦争の後期に於ける「アルコール」燃料の生産施策は概ね順調に進捗し昭和20年10月には、略、其の態勢を確立する予定であった。尚終戦時に於ける「アルコール」燃料の生産量は月間8000~9000トンであった。
 ○「アルコール」製造用原料問題
 「アルコール」製造用原料の第1は砂糖である。「ブタノール」製造用として保有している砂糖を「アルコール」製造用に転用する。尚南方との輸送が続く限り砂糖の還送に努力した。
 原料の第2は雑穀である。
 砂糖を消費尽すと次は雑穀である。甘薯類の収穫期までは雑穀類で生産しなければならない。従って雑穀は食料問題と深い関係があったが、やむを得ない措置として満州、支部方面の雑穀を集収使用した。
 原料の第3は甘薯、馬鈴薯である。
 前述の砂糖、雑穀、共に海外から輸入しなければならない。然し甘薯、馬鈴薯は日本国内のどこでも生産出来る。
 昭和20年度に於ける甘薯の生産計画は、「アルコール」用約9億貫、食糧その他の用途を合せて実に27億貫の大増産を計画した。
 全国の荒地は総て耕やされ、各家庭の庭という庭、道路の余地、等すべての土地に甘薯が植えつけられた。蓋し未だかつてない全国民的運動が展開され甘薯の大増産が推進された。
 そして甘薯は澱粉として、保存することとなり、各方面に其の施設が整備さるることとなった。これ等は総て農商省が其の中心であった。
 思うに、甘薯は、太陽と水と大地がある限り生産可能であり、航空機用「アルコール」燃料の永遠の原料であった。
  ○「アルコール」の使用強化問題
 「アルコール」燃料に関する最大の問題は、其の使用強化である。
 すなわち、第1段階に於ては揮発油「アルコール」の混合燃料の使用を高めることである。この問題に関して海軍大臣から横鎮長官海軍練習連合航空総隊司令官宛訓令が発令された。其の内容は今後航空揮発油は第一線機用のみとして、練習機には極力混合燃料を使用せよという事であった。これに対し練習航空総隊は真剣にこの問題に取組んだ。
 然し「マリアナ」失陥後に於いては、敵の攻撃も一段と激化し、南方油の還送も益々困難となり、何れ近い将来「アルコール」が航空燃料の主役となるであろうと判断して、昭和19年9月19日海軍省軍需局長から海軍航空本部長宛次の公文書を起案送付した。
 軍需二機密第八九〇号          
  航空燃料に関する件
 南方よりの油の還送極度に逼迫し、加うるに国内航空資源も極めて微々たる状況に鑑み、逐次「アルコール」の使用強化を計りつつある次第なるも、大凡二十年一月以降航揮の主体を「アルコール」に依存せざるを得ざる実状に有之侯条是が使用に関し可然取計を得度。
 (注)この公文書軍需二機密第八九〇号は、航空燃料史上貴重な資料につき写を
   保存している。
 この公文書の目的を平易に表現すれば「航空揮発油は近くなくなります。来年一月頃までに「アルコール」で航空戦が出来るよう実験研究を完成してもらいたい、というのであった。
 この申し入れは航空本部に大きな反響をおこし、軍需局内部でも時期尚早との意見が出た。
 九月下旬の戦備促進部燃料部会で次の意味の発言を行った。
1、「マリアナ」戦以後、航空機搭乗員の再建教育に要する燃料は、他をしのいで、優先供給している。今後もこれを継続出来るよう航揮の生産に手段を尽す。
 2.次期作戦に要する航揮に就いて、軍令部から其の時期及航揮の所要予定量を承知したい。
 3.航空本部では用兵作戦に関係なく「アルコール」全面使用の実験研究を完成してもらいたい。
右に対し、当方の要望する明確な説明がなかった。然し搭乗員養成の困難なこと、航空機生産の容易でないことを痛感した。
 その後幾ばくもなくして戦局は激変した。すなわち1ケ月後、昭和19年10月17日、敵は比島「レイテ」に上陸翌18日捷一号作戦発動、比島沖海戦、大敗、其の結果南方油の還送は絶望的となった。
 そして昭和19年11月28日亜号委員会が設置せられ委員長に海軍航空本部長が就任し、海軍省軍需局をはじめ関係部局の協力のもと「アルコール」を航空幾に全面使用するという、前人未踏の難問解決に努力することとなった。そしてその努力は逐次成果を挙げつつ、終戦まで続くこととなる。
 このようにして航空燃料戦備は一歩一歩成果をみつつあった。
 要するにさきの大戦末期に於いて国内資源による航空燃料対策としては、「アルコール」燃料を以て永遠に継続出来る最終対策とした。
 而してこれを実行するに当り其の主原料を甘薯とし数十億貫に及ぶ大増産計画を策定すると共に、全国に散在する酒造場を以て「アルコール」燃料生産の中核とし、全国民を動員して遂行する等、未だかつて行なわれたことのない、画期的な方策によった。
 蓋し、松根油燃料と共に世界燃料史上記録さる可き異色の燃料施策である。
  


Ⅲ.Z研究に関する回想
 戦争末期、海軍が燃料に対し深刻な不安を感じ始めたのは、昭和19年7月、あ号決戦作戦に惨敗、其の結果「サイパン」、「グァム」、「テニアン」を失い、所謂絶対国防圏を突破されてからである。乃ち南方還送油の杜絶も、最早時間の問題となった時からである。
 この非常時期に於いて、海軍省軍需局は国内資源による燃料自給対策に八方手段を尽し、「松根油の開発、「アルコール」の増産、使用強化」を中軸とした燃料戦備方針を策定し、逐次強力にこれを実行しつつあった。
 然るに、海軍省内一部には、軍需局が依然として南方油依存形態を脱し得ず、今なお、燃料自給策を模索中であると思料し、具体案を提示する事があった。
 その中に於いて、いささか異常と思われる「Z研究」というものが燃料需給対策委員会に提案された。
 すなわち昭和19年10月中旬、兵備局第四課、岡崎文勲大佐より提案の、「液体燃料代用化に関する研究」というものであった。
1.液体燃料需給ノ逼迫ハ洵ニ寒心スべキ状況ニアリ此ガ為、天然石油、人造石油、及「アルコール」ノ増産、天然瓦斯、動植物油脂、「クレオソート」ノ利用等常道的二打ツベキ手、八方策ヲ尽シ敢行スルヲ要スルコト勿論ナリト雖モ、之ヲ以テ到底満足シ得べクモ無ク、不幸南方占領地域ヨリノ石油還送杜絶スルガ如キコトアラバ如何二航空機艦船兵器等ノ増産可能ナリトスルモ、最早戦争ヲ継続シ得べカラザル事態二陥ルコト必至ナリ、
2.故二前号記載ノ如キ常道的手段ヲ講ズルト共二之卜併行シテ国内二於テ
自給可能ナル原材料ヲ以テ液体燃料二代用シ得べキ研究ヲ急速実施ノ要アリ、但シ、其ノ研究ハ在来ノ一般通念乃至ハ現科学技術ノ水準尺度等ヲ以テセバ到底解決ノ望無キヲ以テ、此ノ際画期的ナル着想、工夫、ニ依り窮通ノ途ヲ講ズルヲ要ス、
3.勝矢博士ハ永年水二関スル研究二専念シ、幾多水二関連スル防疫上ノ工夫発明アリ、最近二於テハ、海水ヨリ清水ヲ抽出スル画期的小実験装置二成功セルガ如キ、本研究主任トシテ最適任卜認メラルルト本人卜岡崎トノ個人的特殊関係ヲモ勘案シ、本要領ノ如キ便法二依リ急速研究二着手セントスルモノナリ。
以上の通りである。
 我が海軍燃料界はかつて本田維富という詐欺師により昭和8年と昭和13年の2回に亘り「水から、ガソリンを造る」という全く荒唐無稽な宣伝に非常な迷惑を蒙ったことがある。
 従って岡崎大佐提案の「Z研究」もこれに類するものではないかと案じたが、実際は今後の燃料需給を憂えての提案であった。
 唯岡崎大佐と懇談して、其の構想が当時としては余りにも非現実的であることを知った。
 従って岡崎氏に対し、現在企画推進中の松根油は、其の性能の面、其の生産量の面、から見て南方還送油、杜絶後の最有望・燃料資源であり、貴官が批判するような「凡有、常道的」なものではなく画期的な計画であるから是非協力するよう要望した。
 岡崎氏は松根油に関して殆んど知らず(前述のZ研究に関する趣意にも、国内燃料資源を羅列してあるが、松根油は列記してない)当方の説明により初めて承知し、協力を約した。
 其の後「Z研究」は岡崎氏を中心として予定通り昭和二十年三月末まで続けられたが、特別の成果を得ることなく終息した。
 思うに「Z研究」のような、いささか神がかり的な研究「グループ」まで出現したことは、海軍省内の全部局が南方油杜絶後の国内に於ける燃料の自給自足に大きな関心を寄せて居た実証である。
 然し軍需局に於いて、「松根油の開発、「アルコール」の増産とその使用強化」を中軸とした燃料戦備が確定され、強力に推進されるに至り、其の後「Z研究」のような問題は起こらなかった。
 最後に追記し度いことは、岡崎大佐が松根油の推進に非常な関心を持ったことであり、終戦後も親交を深くした。
                           おわり



【戦中に 「太陽と水と大地」があれば、永久に生産出来るバイオ燃料に成功】

今でも出来てないバイオ燃料開発には成功してた