慰安婦問題終了



李賢主イ・ヒョンジュ駐大阪韓国総領事は23日、共同通信のインタビューに応じ、 
従軍慰安婦に関する日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長の一連の発言について 
「政治家は言葉に品格があるべきだ。同じ大阪に住む人間として寂しい」と強く批判した。 


特に「韓国を含む他国の軍も女性を活用していた」との発言を
「笑い話にもならない。常識を超えている」と痛烈に非難した。 


李総領事は、橋下氏の
「戦時中に慰安婦が必要だったことは誰にでも分かる」との発言について 

「韓国外務省のスポークスマンは『常識以下』と言っている。
それ以外に言葉はいらない」と述べた。 


韓国軍などが慰安婦を活用していたとの発言に関しては「うそ、でたらめだ」と反論した。 

また「日本軍が女性を強制的に連行した証拠はない」との発言には 
「あの発言が一番驚いた。彼は弁護士でしょう。
被害者に(連行の事実を)証明しろと言うのか」と反発した。 




























no title

韓国軍慰安婦については1996年に韓国慶南大学教授の金貴玉が[262]
朝鮮戦争時に大韓民国陸軍が慰安婦を徴集していたことを明らかにしたが、

韓国の学会や運動団体からは韓国軍慰安婦は公娼であるし、
また「身内の恥をさらすもの」「日本の極右の弁明の材料となりうる」と警告し、
韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧は禁止された

[金貴玉「朝鮮戦争時の韓国軍「慰安婦」制度について」
『軍隊と性暴力―朝鮮半島の20世紀』宋連玉, 金栄編、現代史料出版 2010年所収。]。

その後、新証言なども出されて徐々に実態が明らかになってきている。

「特殊慰安隊」設置
韓国軍慰安婦のケースでは韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている

CHOE SANG-HUN (2009年1月8日).
“Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases” (英語).
ニューヨーク・タイムズ 2012年10月31日 
http://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08korea.html?_r=2&scp=8&sq=Comfort%20Women%20Korean%20War&st=cse 



[110][1][2][264]。
朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性は強制的に慰安婦にされることもあった[4]。
さらに韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた[2]。

韓国・アメリカ軍に捕えられた北朝鮮軍看護婦。
捕えられた北朝鮮女性はレイプされたり強制的に慰安婦にさせられることもあった

韓国軍'特殊慰安隊'は事実上の公娼 創刊2周年記念発掘特集 韓国軍も'慰安婦'運用した
韓国軍慰安婦のケースでは韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている。

朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性は強制的に慰安婦にされることもあった

(2))” (韓国語). オーマイニュース. 
(2002年2月26日) 2010年3月9日 
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000067635 



さらに韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた
韓国軍慰安婦'問題提起キム・グィオク博士 "明らかになったのは、パズルの一部")

日曜時報 2002年3月26日323号 (韓国語)(現在削除)
韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、
組織的体系的に慰安婦制度をつくった李榮薫2009,p156-158)


45: ハイイロネコ(dion軍) 2013/05/25(土) 20:14:34.13 ID:FA9CJ4270
 
尉官将校だった金喜午の証言では陸軍内部の文書では
慰安婦は「第五種補給品」(軍補給品は4種までだった)と称されていた。

金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、
性的奴隷型、昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、
また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった[263]。

特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、これは日本軍
慰安婦と同様のものであった。

計画は陸軍本部恤兵監室が行い、
1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、
最終的な承認は連合軍が行ったとされる。

韓国政府・軍は慰安婦に対して
「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」されたといる]。

“Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases” (英語).
ニューヨーク・タイムズ 2012年10月31日 
http://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08korea.html?_r=2&scp=8&sq=Comfort%20Women%20Korean%20War&st=cse 



設置時期は1950年、韓国釜山に韓国軍慰安所、馬山に連合軍慰安所が設置され[10]、
1951年には釜山慰安所74ヶ所と国連軍専用ダンスホール5ヶ所が設置される。

ソウル特別市地区には以下の3ヶ所が設置された

第一小隊用慰安所 (現・ソウル市中区忠武路四街148
第二小隊用慰安所 (現・ソウル特別市中区草洞105
第三小隊用慰安所 (現・ソウル特別市城東区神堂洞236)

江陵市には、第一小隊用慰安所 (江寮郡成徳面老巌里)が、
他に春川市、原州市、束草市などに慰安所が設置された。

慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて、トラックで移送し、
前線では米兵も利用した。

1953年7月27日の朝鮮戦争の休戦にともない各慰安所は1954年3月に閉鎖された[263]。
金貴玉は当時設置を行った陸軍関係者がかつて日本軍として従軍していたことなどから、
「韓国軍慰安所制度は日本軍慰安所制度の延長」としている



キィイイイィイイイィイイイイ
ムウウウウウウゥゥゥゥゥッゥゥ
チイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィィ

!!!!!!!!!!!!!!!!!!





http://www.news-us.jp/article/364036410.html

【重要・緊急拡散】慰安婦問題は既に解決済みだった【在日歴史捏造】1993年6月に制定された「日帝下、日本軍慰安婦に対する生活安定支援法」により、戦後補償は全て韓国政府が出す事になっていた!!!! 


ソウル警察自身が

「日本から補償金を奪ってやるなどという詐欺師に騙されるな」

と警告!!!!


 黒幕は在日と韓国統一教会!!!! 


2ch


「ちょwそれ事実なら慰安婦問題ひっくり返るじゃん!!! 日本で慰安婦絡みで活動してる組織、違法で詐欺で検挙じゃん!!!! 一気に解決じゃん!!」




















432: 名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2013/05/25(土) 05:12:53.94 ID:x0arbK6c0 
もうそろそろ片付けなくてはいけない話だからな
言葉を濁すんじゃなくて、
こうやって毅然とした態度で対応する必要がある
事実は事実 歴史は創作ではないとはっきり口にする事が必要 




437: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 05:15:49.49 ID:8sjGrtRE0 
>>432
それ違うんだってww
何種類も俺らまとめWIKI作っているのは、

今起きている慰安婦捏造問題の蒸し返しは
軍事行動なんだと知って欲しいから。
韓国国内では法律制定されていて
解決されている。

安倍政権の声明は100%正しい。


そろそろ国内の層化や統一も治安組織発動して
解体するべき段階に入っている。
 
そういう国民認識を早急に持たせる必要がある。 
左翼組織だけじゃない。


449: 名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2013/05/25(土) 05:24:12.10 ID:x0arbK6c0 
>>437 
ええと それまじ? 法とで解決しているならば
一般階級の発言にももうすこしそれに言及したものが
あっても良いと思うんだけど
2chみたいな肥だめでもでもうんこレスから
根拠のあるレスまで一通りあるというのに
チョンネッツではうんこレスしかないのだろうか
 




461: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 05:29:41.44 ID:8sjGrtRE0 
>>449 
元慰安婦に対して韓国政府が支援金を支給する法律
「日帝下、日本軍慰安婦に対する生活安定支援法」
は1993年6月に制定されている。

そして、今回ソウル警察庁はこの法律がある以上、戦後補償を名目に日本を相手に裁判を起こしても勝てるはずはないし、民間団体である遺族会などの会費をおさめなくても資格さえあれば韓国政府から慰労金は出るとして、会費や弁護士費用などを集める梁順任氏らの活動を詐欺だとして摘発したのだ。

それだけでなく、 ソウル警察庁は、被害事実があれば法に基づき慰労金は出るから、日本から補償金を取ってやるなどと言う詐欺師に騙されないようにしてほしいという警告まで出しているのだ。

20年前、植村記者や青柳氏、高木弁護士ら反日日本人と梁順任氏らによってめちゃくちゃにされた日韓関係が常識に即した形でやっと正常化されたと言えるのではないか。
http://www55.atwiki.jp/staff-officer/pages/134.html

これを報道したり、
主張するジャーナリストに
情報発信の場を与えたのは、
産経新聞とそこが出す正論だけ。



※その他の核心部分


「梁順任遺族会会長が詐欺で摘発されたぞ」
「1991年8月キーセンとして人身売買されたおばあさんを女子挺身隊として連行されたと誤報して日韓関係をめちゃくちゃにした朝日新聞の植村隆記者の義理のお母さんですよね」


4月末、ソウルで黒田勝弘産経新聞ソウル支局長と交わした会話だ。黒田支局長は5月9日付け産経新聞に以下の記事を書いた。

「対日補償要求」で3万人だます 韓国の団体幹部ら摘発

ソウル市警察当局はこのほど、日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府などから補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取っていた団体幹部ら39人を、詐欺の疑いで摘発したと発表した。被害者は3万人に上る。

摘発されたのは「太平洋戦争犠牲者遺族会」「民間請求権訴訟団」など対日要求や反日集会・デモを展開してきた団体。古くからの活動家で日本でも知られる梁順任・遺族会会長(67)にも容疑が向けられており、対日補償要求運動にブレーキがかかりそうだ。

発表によると、梁会長らは遺族会や訴訟団など各種団体を組織して会員を募集。そのさい「動員犠牲者でなくても当時を生きた者なら誰でも補償を受け取れる」などとウソを言った例もあり、会員を集めると手当を支払っていたという。

〈ソウル地方警察庁広域捜査隊は、太平洋戦争強制動員犠牲者に対する補償金を受け取れるようにしてやるとして、各種の日帝強占期[日本帝国主義が朝鮮半島を強制占領していた時期の意。韓国では日常的に使われている歴史用語・西岡解説、以下同]関連団体を設立し、弁護士選任費用などの名目で3万人あまりから15億ウォン相当を詐取したY某氏(67歳)[梁順任氏]など39名を不拘束立件した。

捜査の結果、Y某氏は○○遺族会代表としてテレビニュースのインタビューなどに出演した点を前面に出して、弁護士選任費用などに使わなければならないといって1人あたり3万ウォン~9万ウォンを、募集役を通じて詐取してきたことが確認された。

警察は、太平洋戦争強制動員犠牲者に対する補償は「太平洋戦争強制動員犠牲者に対する支援法律」によってのみ、なされるものであるのでこれ以上の追加被害がないようにお願いするとともに、詐取金のうち口座に残っている1億5千万ウォンに対する没収・保全を申請する予定だ。〉

ここで言及されている「太平洋戦争強制動員犠牲者に対する支援法律」とは、2007年12月に制定され、2008年6月11日に施行された「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者など支援に関する法律」を指す。(なお、同法律は2010年3月22日にサハリン残留者への支援条項などを補完して「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者など支援に関する特別法」と改称されている。法の趣旨は同一なのでここでは補完改称前の法律を紹介する)。

同法は〈この法は1965年に締結された「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題解決と経済協力に関する協定」と関連して国家が太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者とその遺族などに人道的次元で慰労金などを支援することによりこの者たちの苦痛を治癒し国民和合に寄与することを目的とする〉(第1条)とし、軍人、軍属、労務者として国外に動員され死亡したり行方不明になった者の家族に2千万ウォン、負傷により障害を負った者に障害の程度に従い最高2千万ウォン、日本の政府や民間に給与、手当、弔慰金などの未収金などがある者に1円を2千ウォンに換算して、それぞれ慰労金を支給することを定めている。

「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題解決と経済協力に関する協定」とは日韓国交回復の際に締結された協定で、無償3億ドル、有償2億ドルの資金を日本が韓国に提供し、それをもって日韓の戦後補償が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」(第2条)と規定している。

私は20年前からこの点を指摘して、戦後補償は韓国政府が自国民被害者に対して行うべきもので、日本を相手にそれを求める裁判はナンセンスだと繰り返し主張してきた。 2007年にそのことが実現する法律が韓国で成立していたのだ。この事実はあまり日本で知られていないので強調しておきたい。




483: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 05:39:37.91 ID:9y3dHi/t0 
>>461
ちょwそれマジ?
それ事実なら慰安婦問題
ひっくり返るじゃん! 
日本で慰安婦に乗っかって活動してる組織、
違法で詐欺で検挙じゃん
一気に解決じゃん
 




490: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 05:43:19.62 ID:8sjGrtRE0 
>>483
そうなんだよ。
だから福島瑞穂や朝日新聞植村を
証人喚問しろとしつこく書いている。

河野談話を嵌め技で出した時点では、
植村記者の養母は逮捕されていなかった。
今は逮捕されているので、
本当は福島も朝日新聞もガクブルなんだよ。
 




494: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 05:44:39.91 ID:hTbYK+HD0 
>>490
どうやれば実現できるの? 




511: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 05:53:54.89 ID:8sjGrtRE0 
>>494
いくつか方法はある。 一番筋が良いのは、
朝日新聞植村記者養母の
賠償訴訟事件での証人喚問。

実はそれだけじゃないんだ。
この慰安婦捏造ネタを使って、
統一は日本人女性の人身売買をやっている。
韓国の農村に韓国人と結婚させて、
どんどん移住させているのだ。
 
報道されていないだけで、親族などで問題多発。
こういう事に福島も朝日新聞もNHKも
協力したことになるのだよ。
福島は統一信者の可能性すらあるよ。
高木は名指しされているし。
 




515: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 05:56:15.33 ID:0oHR4Jk9O [2/5回(携帯)] 
>>511 
福島瑞穂は大悪党じゃん?
場合によっては死刑になるような罪に問える?
 



524: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 06:01:06.02 ID:8sjGrtRE0 
>>515
北朝鮮が戦争しかけてきたらね。
今のところは巨額の詐欺の疑いでしょ。

明らかに韓国で
植村記者の養母が逮捕された訴訟詐欺に、
高木、福島らの弁護士達は加担している。
弁護士側から戦後補償の話を持ちかけている。
それに呼応して韓国側の植村記者の養母が
弁護士費用などの名目で資金集めしたのだから。
 




534 : 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 06:03:39.14 ID:0oHR4Jk9O [3/5回(携帯)] 
>>524 
ありがとう。ちょっと北朝鮮との戦争は考えにくいかな?
ただ普通の詐欺事件より世論の怒りはすごいよね。
社会的に抹殺される
 



525 : 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 06:01:10.75 ID:hTbYK+HD0 
>>511
その日本人奴隷妻の話聞いたことあるわ

またまた北が出てきそうな




541: 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 06:05:44.64 ID:BSMTvp/z0 
>>511
統一教会に騙されて
韓国の農村で奴隷のように扱われている
日本人女性の数が約6500人と聞いた事があるんだが
現在進行形で増え続けてるのか?
 




550 : 名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/05/25(土) 06:10:42.24 ID:8sjGrtRE0 
>>541 今年初めに内閣府男女共同参画局の
役人に直接問いただした。

男女共同参画予算から色々な活動に金が流れている。
特に全国の男女共同参画センターで
慰安婦セミナーなどたくさん開かれている。
そういう事を把握しているのか?

そして統一は、
長年慰安婦捏造ネタを使い信者を洗脳し、
罪悪感を植え付け韓国の農村に
韓国人と結婚させて
奉仕活動と称して骨の髄までしゃぶられ、
親族への金銭問題も多発しているが
把握しているかと。
絶句していたよ。
 
これね、メディアが報道しないだけだから。
色々あれだろ、都合の悪い公務員もいるんだろwww


【慰安婦】面談中止に維新・中山氏「橋下氏の追及で化けの皮がはがれるところだったのに残念」
ttp://www.logsoku.com/r/newsplus/1369418273/



(事情通は北が黒幕としているが、その上に在日・韓国統一教会がいる説が有力か)

754 :本当にあった怖い名無し! [sage] :2013/05/26(日) 14:49:31.94 ID:hx45gFnO0
知らない奴がいそうなので貼り
96 :名無しさん@13周年[]:2013/05/25(土) 03:16:36.83 ID:8sjGrtRE0 いくぞww 夜中なのに落とすぞww 
大手メディアを超えたからな。
完全にこれはすっぱ抜きだwww

・・・

ttp://hissi.org/read.php/newsplus/20130525/OHNqR3J0UkUw.html




755 :本当にあった怖い名無し! [sage] :2013/05/26(日) 15:28:38.15 ID:99Hn5h5M0 
>>754
いっこだけ、間違ってるとこがあるね。

黒幕が北朝鮮とかいてあるが、逆で
北朝鮮が統一に乗っとられてるのが正解かも。

パワーバランス的にはもう逆転されている。

まあ、もともと爺様の金日成が
統一のバックにあるから間違いではないかも、なんだが。
つまり、統一は、手繰ると中共のスパイ組織ってこった。


金日成 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%97%A5%E6%88%90

1991年12月6日咸鏡南道の興南(フンナム)のマジョン公館で、韓国政府の許可なしに電撃訪朝した統一教会(統一協会、世界基督教統一神霊協会)の教祖文鮮明と会談。金日成をサタンの代表として非難し、共産主義を神の敵として、その打倒に力を入れてきたことで有名な人物であるために世界を驚かせた。会談では離散家族再開に取り組むこと、核査察を受けること、自由陣営国家からの投資を受け入れること、軍需産業を除外した経済事業に統一グループが参与すること、南北頂上会談を行うこと、金剛山開発の実地などについて合意した。文鮮明から35億ドル(約4400億円)もの支援を約束され、経済的窮地を救われる。




中国分裂、朝鮮真空パック 第281夜
ttp://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1367155271/


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大韓民国日本で日本軍慰安婦に対する生活安定支援法

日帝下日本軍慰安婦に対する生活安定支援法
法律第6400号
著者:大韓民国国会
大韓民国日本で日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援及び記念事業などに関する法律
実施:2001.1.29、打法改正:2001.1.29
  • 女性家族部(権益企画​​と)、02-2075-8746。
  • 第1条(目的)この法律は、日本によって強制動員され、日本軍慰安婦としての生活を余儀なくされた者(以下"幹部慰安婦"という。)について、国が人道主義の精神に立脚し、これらを保護し、サポートすることを目的とする。
  • 第2条(適用対象者)この法律は、幹部慰安婦の生存者として、第3条の規定によりこの法律の適用対象者に決定·登録された者に適用する。
  • 第3条(決定及び登録)(1)この法律の適用対象者になろうとする者は、大統領令が定めるところにより、女性部長官に登録を申請しなければならない。<改正1997.12.13、2001.1.29>
(2)女性部長官は、第1項の規定による登録の申請を受けたときは、第6条の規定による一群慰安婦生活安定支援審議委員会の審議を経て、この法律の適用対象者かどうかを決定しなければならない。<改正1997.12.13、2001.1.29>
(3)女性部長官は、前項の決定をしたときは、これを登録し、その結果を申請人に通知しなければならない。<改正1997.12.13、2001.1.29>
  • 第4条(保護·支援の内容)(1)女性部長官は、この法律の適用対象者に次の各号の保護と支援を行う。<改正1997.12.13、1999.9.7、2001.1.29>
1。国民基礎生活保障法による生計給与
2。医療保護法による医療保護
3。生活安定支援金の支給
(2)第1項の保護と支援を行うことにあり、この法律の適用対象者は、国民基礎生活保障法第5条の規定によるスグプグォンジャと医療保護法第4条の規定による保護対象者に見て、国民基礎生活保障法第3条第2項の規定は、適用しない。<改正1999.9.7>
(3)第1項第3号の生活安定支援金の支給基準や方法その他必要な事項は、大統領令で定める
  • 第5条(賃貸住宅の優先賃貸)国·地方公共団体またはの住宅公社法による大韓住宅公社は、住宅建設促進法により建設する賃貸住宅を借りる場合には、この法律の適用対象者のうち住宅を所有していない者に対し、建設交通部長官が定めるところにより、優先賃貸なければならない。<改正1997.12.13>
  • 第6条(幹部慰安婦生活安定支援審議委員会)(1)次の事項を審議するために、女性部の幹部慰安婦生活安定支援審議委員会(以下"審議会"という。)を置く。<改正1997.12.13、2001.1.29>
1。登録申請事項についての事実かどうか
2。この法律による保護と支援に関して必要な事項
3。他の女性部長官が審議委員会の審議に父親事項
(2)審議委員会の構成及び運営等に関して必要な事項は、大統領令で定める。
  • 第7条(協力要請)審議委員会は、この法律による適用対象かどうかを審議するために必要なときは、申請人本人、証人や参考人から証言や陳述を聴取したり、行政機関その他の関係機関に対し、必要な協力を求めることができる。
  • 第8条(権利の保護)この法律による生活の安定支援金を支給を受ける権利は、これを譲渡し、又は担保に提供することができず、差し押さえることができない。
  • 第9条(生活の安定支援金の返還)(1)女性部長官は、この法律によって生活の安定支援金を受けた者が次の各号の1に該当する場合には、生活の安定支援金の全部又は一部を返還することができる。<改正1997.12.13、2001.1.29>
1。詐偽その他不正な方法で生活の安定支援金の支給を受けた場合
2。間違い級された場合
(2)女性部長官は、第1項の規定により返還をする場合に生活の安定支援金を返すことが期間内にこれを返還しないときは、国税滞納処分の例によりこれを徴収する。<改正1997.12.13、2001.1.29>
  • 第10条(費用の負担)第4条第1項第3号の規定による生活の安定支援金の支給に要する費用は、国がこれを負担する。
  • 第11条(権限の委任·委託)この法律による女性部長官の権限は、その一部を大統領令が定めるところにより、外務大臣に委託し、又は特別市長·広域市長又は道知事に委任することができる。<改正1997.12.13、2001.1.29>

附則 編集 ]

  • 附則<第4565号、1993.6.11>
(1)(施行日)この法律は、公布の日から施行する。
(2)(申告者に関する経過措置)1992年2月25日から1993年2月28日まで内務省と大韓赤十字社組織法による大韓赤十字社および関連民間団体を通じて外務省幹部慰安婦として申告した者は、第3条1項の規定により登録の申請をした者とみなす。
この法律は、1998年1月1日から施行する。<手がかり省略>
第1条(施行日)この法律は、2000年10月1日から施行する。<手がかり省略>
第2条省略
第3条(他の法律の改正)(1)ないし(4)省略
(5)日帝下日本軍慰安婦に対する生活安定支援法では、次のように改正する。
第4条第1項第1号を次のようにして、同条第2項中" 生活保護法第3条"を"国民基礎生活保障法第5条の規定による受給権者"と、"生活保護法第4条第2項"を"国民基礎生活保障法第3条第2項"とする。
1。国民基礎生活保障法による生計給与
(6)から(10)省略
第4条から第13条まで省略
第1条(施行日)この法律は、公布の日から施行する。<手がかり省略>
第2条省略
第3条(他の法律の改正)(1)ないし<77>省略
(78)日帝下日本軍慰安婦に対する生活安定支援法では、次のように改正する。
第3条第1項、第3条第2項、第3条第3項​​、第4条第1項、第6条第1項第3号、第9条第1項、第9条第2項及び第11条中 "保健福祉部長官 "をそれぞれ"女性部長官 "とする。第6条中 "保健福祉部"を "女性部"とする。
(79)省略
第4条まで省略


일제하일본군위안부에대한생활안정지원법
법률 제6400호
저자: 대한민국 국회
대한민국 일제하 일본군위안부 피해자에 대한 생활안정지원 및 기념사업 등에 관한 법률
시행: 2001.1.29,타법개정 : 2001.1.29
  • 여성가족부 (권익기획과), 02-2075-8746.
  • 제1조 (목적) 이 법은 일제에 의하여 강제동원되어 일본군위안부로서의 생활을 강요당한 자(이하 "일군위안부"라 한다)에 대하여 국가가 인도주의정신에 입각하여 이들을 보호하고 지원함을 목적으로 한다.
  • 제2조 (적용대상자) 이 법은 일군위안부중 생존자로서 제3조의 규정에 의하여 이 법의 적용대상자로 결정·등록된 자에게 적용한다.
  • 제3조 (결정 및 등록) (1) 이 법의 적용대상자가 되고자 하는 자는 대통령령이 정하는 바에 따라 여성부장관에게 등록을 신청하여야 한다. <개정 1997.12.13, 2001.1.29>
(2) 여성부장관은 제1항의 규정에 의한 등록신청을 받은 때에는 제6조의 규정에 의한 일군위안부생활안정지원심의위원회의 심의를 거쳐 이 법의 적용대상자 여부를 결정하여야 한다. <개정 1997.12.13, 2001.1.29>
(3) 여성부장관은 제2항의 결정을 한 때에는 이를 등록하고, 그 결과를 신청인에게 통지하여야 한다. <개정 1997.12.13, 2001.1.29>
  • 제4조 (보호·지원의 내용) (1) 여성부장관은 이 법의 적용대상자에게 다음 각호의 보호 및 지원을 행한다. <개정 1997.12.13, 1999.9.7, 2001.1.29>
1. 국민기초생활보장법에 의한 생계급여
2. 의료보호법에 의한 의료보호
3. 생활안정지원금의 지급
(2) 제1항의 보호 및 지원을 행함에 있어 이 법의 적용대상자는 국민기초생활보장법 제5조의 규정에 의한 수급권자 및 의료보호법 제4조의 규정에 의한 보호대상자로 보며, 국민기초생활보장법 제3조제2항의 규정은 이를 적용하지 아니한다. <개정 1999.9.7>
(3) 제1항제3호의 생활안정지원금의 지급기준 및 방법 기타 필요한 사항은 대통령령으로 정한다
  • 제5조 (임대주택의 우선임대) 국가·지방자치단체 또는 대한주택공사법에 의한 대한주택공사는 주택건설촉진법에 의하여 건설하는 임대주택을 임대하는 경우에 이 법의 적용대상자중 주택을 소유하지 아니한 자에 대하여 건설교통부장관이 정하는 바에 따라 우선 임대하여야 한다. <개정 1997.12.13>
  • 제6조 (일군위안부생활안정지원심의위원회) (1) 다음 사항을 심의하기 위하여 여성부에 일군위안부생활안정지원심의위원회(이하 "심의위원회"라 한다)를 둔다. <개정 1997.12.13, 2001.1.29>
1. 등록신청사항에 대한 사실여부
2. 이 법에 의한 보호 및 지원에 관하여 필요한 사항
3. 기타 여성부장관이 심의위원회의 심의에 부친 사항
(2) 심의위원회의 구성 및 운영등에 관하여 필요한 사항은 대통령령으로 정한다.
  • 제7조 (협조요청) 심의위원회는 이 법에 의한 적용대상자 여부를 심의하기 위하여 필요한 때에는 신청인본인, 증인 또는 참고인으로부터 증언 또는 진술을 청취하거나, 행정기관 기타 관계기관에 대하여 필요한 협조를 요청할 수 있다.
  • 제8조 (권리의 보호) 이 법에 의한 생활안정지원금을 지급받을 권리는 이를 양도하거나 담보로 제공할 수 없으며, 압류할 수 없다.
  • 제9조 (생활안정지원금의 환수) (1) 여성부장관은 이 법에 의하여 생활안정지원금을 받은 자가 다음 각호의 1에 해당하는 경우에는 생활안정지원금의 전부 또는 일부를 환수할 수 있다. <개정 1997.12.13, 2001.1.29>
1. 사위 기타 부정한 방법으로 생활안정지원금의 지급을 받은 경우
2. 과오급된 경우
(2) 여성부장관은 제1항의 규정에 의하여 환수를 하는 경우에 생활안정지원금을 반환할 자가 기간내에 이를 반환하지 아니한 때에는 국세체납처분의 예에 의하여 이를 징수한다. <개정 1997.12.13, 2001.1.29>
  • 제10조 (비용의 부담) 제4조제1항제3호의 규정에 의한 생활안정지원금의 지급에 소요되는 비용은 국가가 이를 부담한다.
  • 제11조 (권한의 위임·위탁) 이 법에 의한 여성부장관의 권한은 그 일부를 대통령령이 정하는 바에 따라 외무부장관에게 위탁하거나 특별시장·광역시장 또는 도지사에게 위임할 수 있다. <개정 1997.12.13, 2001.1.29>

부칙 [편집]

  • 부칙 <제4565호, 1993.6.11>
(1) (시행일) 이 법은 공포한 날부터 시행한다.
(2) (신고자에 관한 경과조치) 1992년 2월 25일부터 1993년 2월 28일까지 내무부와 대한적십자사조직법에 의한 대한적십자사 및 관련민간단체를 통하여 외무부에 일군위안부로서 신고한 자는 제3조제1항의 규정에 의하여 등록신청을 한 자로 본다.
이 법은 1998년 1월 1일부터 시행한다. <단서 생략>
제1조 (시행일) 이 법은 2000년 10월 1일부터 시행한다. <단서 생략>
제2조 생략
제3조 (다른 법률의 개정) (1) 내지 (4)생략
(5) 일제하일본군위안부에대한생활안정지원법중 다음과 같이 개정한다.
제4조제1항제1호를 다음과 같이 하고, 동조제2항중 "생활보호법 제3조"를 "국민기초생활보장법 제5조의 규정에 의한 수급권자"로, "생활보호법 제4조제2항"을 "국민기초생활보장법 제3조제2항"으로 한다.
1. 국민기초생활보장법에 의한 생계급여
(6) 내지 (10)생략
제4조 내지 제13조 생략
제1조 (시행일) 이 법은 공포한 날부터 시행한다. <단서 생략>
제2조 생략
제3조 (다른 법률의 개정) (1) 내지 <77>생략
(78)일제하일본군위안부에대한생활안정지원법중 다음과 같이 개정한다.
제3조제1항, 제3조제2항, 제3조제3항, 제4조제1항, 제6조제1항제3호, 제9조제1항, 제9조제2항 및 제11조중 "보건복지부장관"을 각각 "여성부장관"으로 한다. 제6조중 "보건복지부"를 "여성부"로 한다.
(79)생략
제4조 생략



















慰安婦・慰安婦問題に関する出版物と関連年表 

慰安婦問題前史 [編集]

  • 1938年
    • 中央公論3月号に石川達三生きている兵隊を発表。第9章に「日本軍人の為に南京市内二個所に慰安所が開かれた」と記載された。「彼等壮健なしかも無聊に苦しむ肉体の欲情を慰めるのである」という表現は伏字とされた。第10章にも「大阪神戸附近からから八十六人の商売女を駆り集め」とあるが当時は伏字とされた[1]
  • 1950年
    • 辻政信が「十五対一:ビルマの死闘」(酣灯社)に慰安婦(p57)として「天草娘・朝鮮娘」(p77)を記載
  • 1952年
    • 日中戦争に従軍した伊藤桂一が戦記小説「夏の鶯」をサンデー毎日別冊に発表。朝鮮人慰安婦十数人のいる慰安所が表現された。第4回千葉亀雄賞、サンデー毎日大衆文芸入選。
  • 1953年
    • 2月27日、参院本会議で社会党の藤原道子議員が「米軍の暴行事件は、昨年12月までの独立後8ヵ月間におき1878件を数えた」と指摘[2]
    • 五島勉編『続・日本の貞操』(蒼樹社1953)が発刊。在日米軍基地に働く日本人女性が朝鮮の戦地に慰安婦として輸送機などで送られたと記載。後年『黒い春―米軍・パンパン・女たちの戦後』(倒語社1985)と改題再刊され、『性暴力問題資料集成6巻』(不二出版2004)にも掲載された。
  • 1955年
    • 広辞苑の初版に【慰安婦】とは『もと戦地の部隊に随行、将兵を慰安した女』と記載される。
  • 1957年
    • 田中貴美子『女の防波堤』(第二書房)が出版[3]
  • 1958年
    • 中野清見が「ある日本人」(平凡社)の第2部に「朝鮮から連れてこられた慰安婦と呼ばれる人たち…」(p308)、「慰安所、朝鮮の女たち…」(p349-350)を記載
  • 1961年
    • 小林大治郎,村瀬明『みんなは知らない 国家売春命令』(雄山閣出版, ISBN 9784639020455)の初版発行。特殊慰安施設協会の概要を詳述。
  • 1965年
    • 朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(未來社)が刊行さる。67頁に辻政信・中野清見の著書を参考にして「戦時中朝鮮女性が慰安婦として多数戦線に動員されているが…」と記載
  • 1968年
  • 1969年
    • 伊藤桂一がドキュメント「兵隊たちの陸軍史」(ISBN 9784101486123)を公刊。『戦場と性』の章に慰安所の光景が解説され「慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れて来られたのである。」と記載。

1970年代 [編集]

  • 1970年
    • 週刊新潮6月27日号(p74-86)に千田夏光が「特別レポート 日本陸軍慰安婦」を掲載。この時点では『従軍慰安婦』という言葉は使用していないが、慰安婦はまるで公衆便所で、朝鮮人が多かったと記載
    • 8月14日、ソウル新聞において「1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている」と報道される[4]金英達によれば、このソウル新聞の記事が千田夏光によって「韓国女性が20万人動員、うち5-7万人が慰安婦にされた」と誤読された[5]。またアジア女性基金運営審議委員の高崎宗司によれば、このソウル新聞記事における「5〜7万」の推算の根拠は不明である[6]。 
    • 8月、田中美津が女性解放連絡会議(準備会)の配布物に、「従軍慰安婦という一大便所集団(その大部分は朝鮮人であった)」と記載[7]
    • 10月21日の国際反戦デーに際し、"ぐるーぷ・闘うおんな"(田中美津が中心)は「日本帝国主義は、軍国の妻である貞女と従軍慰安婦を支えとして、他国への侵略を開始した。婦人参政権運動は、その体制に対しては何もしなかったし、結果的には加担した。従軍慰安婦をつくりだす体制に加担した…」と市川房江らを批判した。[8]
  • 1971年
    • 大岡昇平レイテ戦記を公刊。「八 抵抗」の章に『(米軍の)タクロバンの慰安所は一人五分間に制限された』との記載
  • 1972年(前史)
    • 女性史研究者 山崎朋子の『サンダカン八番娼館』が刊行され、ベストセラーとなる。社会の底辺に生きた海外売春婦「からゆきさん」を取材。[9]
  • 1973年
    • 毎日新聞社記者でノンフィクション作家千田夏光が『従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発』を双葉社より出版。「『挺身隊』の名の元に彼女らは集められた」「総計20万人(韓国側の推計)が集められたうち、『慰安婦』にさせられたのは5万人ないし7万人とされている」と記す[10]金英達によればこれは1970年8月14日のソウル新聞記事における「日韓女性20万人のうち朝鮮人女性が5〜7万人」という記載を誤読したものである[11]
  • 1974年
    • 千田夏光が『続・従軍慰安婦』刊行。
  • 1975年
    • 禾晴道『海軍特別警察隊 アンボン島BC級戦犯の手記』が出版。「慰安婦と呼ばれていた。国家権力による強姦強要でもあった」海軍「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集める」とインドネシアのアンボン島やサパロワ島で「慰安婦狩り」が計画実行された。民政警察の指導にあたっていた木村司政官の証言「娘を集めて強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、娘たちの住んでいる部落の住民が、ぞくぞく港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ!! 娘を返せ!! と叫んだ声が耳に残っています」を記載。
  • 1976年
    • 1月 金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房)出版。金一勉は朝鮮女性が慰安婦にされたのは日帝が朝鮮民族を消滅させようとしたためであった、と主張し、さらに慰安婦は17歳から20歳までの処女だけが20万人集められたとした[12]
  • 1977年
    • 3月 吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)が出版。
    • 12月 『軍隊慰安婦―戦争と人間の記録』(金一勉 『現代史出版会』)が出版。
  • 1978年
    • 12月 山田清吉 『武漢兵站 -支那派遣軍慰安係長の手記-』(図書出版社)が出版。
  • 1979年
    •  12月『沖縄のハルモニ―大日本売春史』(山谷哲夫 晩聲社)が出版さる。1914年生まれで1944年釜山から門司、鹿児島、那覇につれてこられ、その後渡嘉敷島で慰安婦を勤め戦後沖縄本島を移動、那覇のアパートにいたハルモニを1977年から1979年にかけて長期取材した記録である。当時取材した記録も含む。

1980年代 [編集]

  • 1982年
    • 9月・11月 第二次世界大戦の戦前、戦中に、当時日本領だった樺太(現サハリン州)に渡った朝鮮人の韓国への帰還を日本政府に対して請求する「樺太裁判」(樺太残留者帰還請求訴訟)で、吉田清治が原告側の証人として朝鮮人の「奴隷狩り」(強制連行)を証言。
  • 1983年
    • 1月 吉田清治が『私の戦争犯罪-朝鮮人連行-』において韓国の済州島において慰安婦にするための205人の女性を強制連行したと告白。初めての加害証言となる。韓国天安市に「謝罪の碑」を建立。韓国のテレビが「謝罪の旅」として1時間番組を放映。日本、アメリカなどで謝罪講演をして回る。
    • 11月10日 『朝日新聞』が「ひと」欄で、吉田清治が「謝罪の碑」を韓国に建てたことを写真入で紹介。
  • 1986年
    • 伊藤桂一『戦旅の手帳』(光人社)が出版。慰安婦にする女性を「騙すのは、看護婦にする、というのと、食堂の給仕にする、というのとつまり肉体的供与を条件とせず連れて行って、現場に着いたら因果を含めたものである。逃げる方法はない。」と記載。
  • 1989年
    • 上原栄子『辻の華・戦後篇〈上巻〉』(時事通信社)が出版。沖縄戦で第32軍司令部・本部の壕に避難していた上原栄子さんは「従軍看護婦という名目」で「上間村の給水部隊へ配置」されたが到着してみるとそこは慰安所で慰安婦にさせられてしまったことを記載。
    • 吉田の著書が韓国語翻訳され、韓国で出版。史実としてドラマ化され、韓国で「従軍慰安婦問題」への関心が高まる。
    • 5月 大分市の主婦で「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会[13]の事務局員、青柳敦子 [14]が『朝日ジャーナル』(1989年5月19日号)に、「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式に陳謝せよ」という意見広告を出す(同年12月まで隔週で15回)。
    • 8月14日 吉田清治の記述内容に疑問を持った『済州新聞』の許栄善記者が現地調査したルポを『済州新聞』(8月14日付)に発表。慰安婦狩りの話を裏づける証言する人はほとんどおらず、島民たちが吉田の本の信頼性に疑問を呈していること、郷土史家の金奉玉が追跡調査した結果、吉田の本が事実でないことを発見し、「この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨したことなどを報告。
    • 11月16日 韓国挺身隊問題対策協議会結成[15]
    • 11月19日 青柳敦子と在日朝鮮人宋斗会[16]が日本政府に謝罪と補償を求める裁判を起こすため、韓国で訴訟費用を負担する条件を付け「慰安婦裁判の原告募集」のビラをまく[17]。数週間後にソウルの「太平洋戦争犠牲者遺族会」から協力したいという申し入れが来る。

1990年代 [編集]

1990年 [編集]

  • 1990年
    • 1月 4日~24日 韓国『ハンギョレ新聞』(現:ハンギョレ)紙上で、抗日運動の家に生まれた尹貞玉(梨花女子大学教授)が「"挺身隊"怨念の足跡取材記」と題する4回に渡る連載で慰安婦問題を告発し、韓国で大きな反響を呼ぶ[18]。そのなかで尹貞玉は1976年の金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』を参照しながら、慰安婦は朝鮮民族の消滅を企図した日本帝国の国策だったと主張したうえで元慰安婦とされる女性たちの証言を紹介した[19]。証言のなかには、処女供出が開始されてからは日本軍人がトラックで幼女をいたるところで捕まえていたこと、女性を丸裸にして天井から逆さ吊りにし、乳や腹を切り裂き内蔵を別の少女たちに向かって散布したとするものもあった[20]
    • 6月6日 参議院予算委員会で、 日本社会党本岡昭次の朝鮮人の強制連行に関する質問において、政府(労働省職業安全局長)は「国家総動員法に基づく業務として慰安婦の強制連行は行っていなかった」、「古い人の話等からも、民間業者が慰安婦を軍と共に連れ歩いていたらしく、実態調査はできかねる」という旨の答弁をする[21]
    • 7月10日 韓国において、慰安婦問題の真相究明と問題解決のために「挺身隊研究会」(現:「韓国挺身隊研究所」)が結成される。
    • 10月17日、韓国の37の女性団体が日本の海部俊樹首相に慰安婦問題に関する政府への6項目の要求[22]を示した公開書簡を送付。6月6日の国会で慰安婦の強制連行を否定した労働省職業安全局長の発言を「歴史的事実に反する無責任な発言」と糾弾。
    • 11月 韓国で「韓国挺身隊問題対策協議会挺対協)」が発足。ソウルの日本大使館前で日本軍による「慰安婦問題」に対する抗議デモを行なう(以降毎週水曜日にデモ(水曜デモ)を行なうことが恒例となる)。

1991年 [編集]

  • 1991年
    • 4月1日 参議院予算委員会で、 日本社会党本岡昭次の従軍慰安婦に関する質問において、労働省の政府委員は「手がかりになる資料がない」という旨の答弁をする。
    • 4月24日 ソウルの日本大使館が尹貞玉韓国挺身隊問題対策協議会代表を呼び、「日本軍が強制連行した証拠はない」、「補償日韓協約で解決済み」と伝え、挺対協からの六項目の要求[22]を拒否すると回答。
    • 5月22日 『朝日新聞』大阪版が「木剣ふるい無理やり動員」との見出しで吉田清治の慰安婦狩りの証言を写真入で紹介。
    • 10月10日 『朝日新聞』大阪版が井上祐雅編集委員による吉田清治のインタビュー記事を掲載。 吉田は「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引きはがして連行した」、「政府は資料を隠している」などと述べる。[23]
    • 11月 改定版として出版された『広辞苑』第4版(岩波書店)に、初めて以下の2語が収録される。
      • 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
      • 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍将兵の性的慰安のために従軍させられた女性。
  • 8月11日 『朝日新聞』が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(韓国特派員植村隆のソウル発記事)との見出しで、[24]で、「日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で[25]戦場に連行され[26]、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。」と報じる。
  • 8月14日 元慰安婦の金学順がソウルで記者会見。14歳の時、家が貧しかったのでキーセンハウス(売春宿)に売られ、17歳になったとき、キーセンハウスの経営者である義父に華北にある日本軍の慰安所に連れて行かれた[27][28]事などを述べる。[29]
  • 12月6日 金学順を初め3名の元慰安婦を含む35人の原告(主任弁護士:高木健一)が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求め提訴(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)。

1992年 [編集]

  • 1992年
    • 1月8日 韓国挺身隊問題対策協議会により宮沢喜一内閣総理大臣の訪韓を契機として、駐韓日本大使館前における日本政府の日本軍慰安婦への謝罪を求める第一回水曜集会が開かれる[30][31][32]。以来、2008年2月13日には第800回水曜集会が開かれ、一度も欠かすことなく継続中である[32]
    • 1月11日 宮澤喜一首相訪韓の5日前のこの日、『朝日新聞』は一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」との見出しで、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万人とも20万人ともいわれる」と報じる。
    • 1月14日 韓国の多数のマスメデイアが、前年に日本のテレビで女子児童が挺身隊として勤労動員されたという報道を誤解し、「国民学校の生徒(小学生)まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」などと報道[33]
    • 1月16日 韓国を訪問した宮沢首相は慰安婦問題の報道により反日デモが高まる状況に、首脳会談で8回謝罪し、「真相究明」を約束する。韓国国会においても「実に心の痛むことであり、誠に申し訳なく思っています」と述べる。盧泰愚大統領は、記者会見で「韓日が同伴者関係を構築するためには、日本が過去の歴史を正しく認識し、過ちを謙虚に反省する土台が必要」と語る。
    • 1月23日 『朝日新聞』夕刊の「窓」欄で、「強制連行した女性は950人」、「強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」との吉田清治のインタビューを掲載。
    • 2月17日 日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会において、慰安婦問題を人道上の罪だとして国連の介入を求める。
    • 2月25日、韓国政府が被害者申告センターを設置し、被害の申告と証言の受付を始める。
    • 5月1日発売の『正論』(1992年6月号)の「昭和史の謎を追う-第37回:従軍慰安婦たちの春秋」と題するルポで、秦郁彦は済州島での実地調査により、吉田清治が現地で205名の慰安婦狩りをしたという事実はないことが判明したと主張[34]
    • 5月25日 『朝日新聞』が7月、吉田清治が韓国に「謝罪の旅」に出ること、吉田は強制連行した体験を「国会でもどこでも行って話す」つもりと語っていることなどを紹介。
    • 7月6日 日本政府が吉見教授の資料発見を受けて行った慰安婦問題に関する調査結果を発表。100を超える関係資料を公開。加藤紘一官房長官(当時)は「朝鮮人女性の強制連行を裏付ける資料は発見されなかった」としながらも、「慰安所の設置や運営・監督などに政府が関与していた」ことを初めて公式に認める。
    • 7月7日 『朝日新聞』が日本政府が上記慰安婦問題に関する調査結果の資料を改変していたことが見つかる[35](『朝日新聞』 1992年7月7日付 31面 )。
    • 7月 韓国政府が「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表し、「日本政府による慰安婦の威圧的連行があった」と主張。「強制連行なし」とした日本政府に追加調査を求めるとともに、日本の歴史教科書への記述と学校教育を通じた「過去の正しい認識」の周知を要請。
    • 12月 中央大学教授吉見義明が『従軍慰安婦資料集』(大月書店)を刊行。その中で「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは『狭義の強制連行』であり、詐欺などを含む『広義の強制連行』の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」と「広義の強制性」という主張を始める。
    • 12月25日 韓国釜山市などの元慰安婦ら10名が、日本政府に公式謝罪と賠償を求めて山口地方裁判所に提訴(釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟)。

1993年 [編集]

  • 1993年
    • 2月1日 韓国で元慰安婦らの証言集『強制連行された朝鮮人「慰安婦」たち』(韓国挺身隊問題対策協議会、挺身隊研究会編)が刊行される[36]
    • 現代コリア』(1993年2・3月号)紙上で、現代史研究家の加藤正夫が、千田夏光の『従軍慰安婦』(講談社文庫 1984年)の中の嘘を暴露。
    • 3月 韓国政府が国内の元慰安婦135名に対して500万ウォン(約74万円)の支給などの支援策を発表。また、日本の教科書に慰安婦に関した記述をするよう求める。秦郁彦が『正論』と『諸君』の記事をまとめ『昭和史の謎を追う』(文藝春秋社)を出版し、同年菊池寛賞を受賞。
    • 4月2日 フィリンピンの19人の元「慰安婦」らが日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴。原告は、最終的には46名となる。1998年10月9日、地裁で慰安婦側の請求を棄却、2000年12月6日、控訴棄却、同年12月25日、最高裁判所への上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。
    • 4月 宮城県の生活保護受給者宋神道(ソン・シンド)が、二次大戦中約七年間にわたりいわゆる従軍慰安婦とされ肉体的精神的苦痛を受けたとして、日本政府を相手取り、国際法及び民法に基づき、日本政府に767億5893万7500円の賠償金を求めて[37]、東京地裁に提訴(1999年10月1日、一審で請求棄却、2000年11月30日、控訴審の判決も請求棄却)。
    • 6月 高校日本史検定済み教科書7社9種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることが判明。
    • 6月11日 韓国で「日帝下日本軍慰安婦に対する生活安定支援法」が制定、同年8月から元「慰安婦」に一時金、生活費の支給を行う。
  • 1993年8月4日 日本政府が「慰安婦問題に関する第二次調査報告結果」を公表。それに関連し、河野洋平内閣官房長官が旧日本軍の強制連行を認める「河野談話」を発表。 「慰安所設置等に旧軍が関与し、慰安婦の募集も本人の意思に反して集められた事例が数多かった」とし、慰安婦に対し、「心からお詫びと反省を申し上げる」と謝罪。談話発表後の記者会見で「強制連行の事実があったという認識か」との記者の質問に、「そういう事実があったと。(それで)結構です」と答えた。これを受けた韓国外務省は「全体として強制性を認め、被害者に謝罪と反省を表明し、今後の歴史の教訓としていく意思を表明したことを評価する」との声明を発表。
  • 8月4日 NHK教育テレビジョンが『50年目の"従軍慰安婦"』を放映。元慰安婦らが共同生活している「ナヌムの家」を紹介し、日本の反省や償いについて論じる。
  • 8月31日 村山富市首相が、談話「平和友好交流計画」に関する談話の中で 、「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。」と謝罪。[38]
  • 高木健一ら、日本の弁護士3人がインドネシアの地元紙に「日本政府に対して補償を求める裁判のために元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出す。

1994・1995年 [編集]

  • 1994年
    • 国際法律家委員会」(ICJ)が「慰安婦」報告書において、幼い少女たちを含む多数の女性たちが戦時中、日本の軍事施設に監禁されたのみならず、殴打や拷問を受け、繰り返し強姦されたと指摘。
    • 5月3日 羽田内閣永野茂門法務大臣が記者会見で「慰安婦は当時の公娼 であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別 とかは言えない。」と述べたことが中国、韓国を初め、アジア諸国の激しい反発を招く。4日後、永野法務大臣は謝罪し、就任から僅か10日で引責辞任。
  • 1995年
    • 1月 『週刊新潮[39]が取材の結果、吉田清治の証言が事実無根である事が判明したとの記事を掲載[34]。吉田は「デッチ上げといわれても構わない。自分の役目はもう終った」と述べる[34]
    • 1月24日 日本弁護士連合会が「従軍慰安婦問題に関する提言」を政府に提出。立法措置などにより、元慰安婦らに補償するよう求める。
    • 7月19日 元慰安婦への償い金を民間から募ることなどを目的として、日本政府の主導で財団法人女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」が発足。
    • 8月15日 社民党の村山富市首相(当時)が過去の日本の侵略戦争や植民地支配について公式に謝罪した村山談話を発表。
    • 8月15日 「大東亜戦争」(太平洋戦争)を総括する目的で自民党が1993年8月に立ち上げた「歴史・検討委員会」(委員長:山中貞則)が『大東亜戦争戦争の総括』(展転社)を出版。「『大東亜戦争』は、自存・自衛のアジア解放戦争であり、侵略戦争ではなかった」「『南京大虐殺』や『従軍慰安婦』は事実ではない」「加害・戦争犯罪はなかった」と総括。
    • 8月22日 韓国で、元「慰安婦」および支援35団体が「民間基金構想撤回と被害者個人への謝罪と補償を求める共同声明」を発表。
    • 11月22日 「国際法律家委員会」(ICJ)が、慰安婦被害者には個人補償請求権があるとする報告書を発表。

1996年 [編集]

  • 1996年
    • 2月6日 スイスジュネーヴで開かれた国際連合人権委員会スリランカの著名な法律家であるラディカ・クマラスワミ(Radhika Coomara-swamy)が特別報告者として「女性への暴力特別報告」と題する報告書(通称:クマラスワミ報告書)を提出。この報告書は主に家庭内暴力についてであったが、附属文書で日本の慰安婦問題を取り上げ、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、日本の行為を「『人道に対する罪』、奴隷制度を禁じた国際慣習法に違反する」と断定し、平和国民基金等で道徳的責任を果たしつつあることは評価しながらも、日本が法的責任を取って犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告した(クマラ スワミ勧告)。[40]同年4月20日、「クマラスワミ報告書」は、評価基準は最下の"take note"[41](留意)ながらも全会一致で採択される(「報告者の活動」に対する評価は"welcome"(歓迎)であった)。
    • 5月29日付の『週刊新潮』でのインタビューで、吉田清治が『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、人間狩りをしたという主張は否定しなかったが、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認める。
    • 6月4日 自民党の奥野誠亮元法相が「従軍記者や従軍看護婦はいたが、『従軍』慰安婦はいない。商行為に参加した人たちだ。戦地で交通の便を(国や軍が)図っただろうが、強制連行はなかった」と発言。中国や韓国の政府から抗議を受ける。
    • 6月4日 来日中の韓国人元慰安婦(73歳)が自民党の板垣正参院議員と面会。「一部の日本人が強制がなかったとか妄言を吐くので、胸の中がかきまわされる思いだ。私が発言しないとわからないのか、と名乗り出た」と訴える。対価としてお金をもらっていないとの元慰安婦の話に板垣は「そういう例があったとはまったく信じられない」と疑問を呈した。
    • 6月末 橋本龍太郎首相が金泳三韓国大統領との首脳会談後、慰安婦間題を謝罪。
    • 中学校用歴史教科書の7年度検定結果が発表され、教科書を発行する7社が一斉に「強制連行」の一環として「慰安婦」問題を掲載していることが明らかになる。
    • 8月 小林よしのりが雑誌『SAPIO』連載の『新・ゴーマニズム宣言』第24章で、慰安婦問題を取り上げる。
  • 6月 自民党の「終戦50周年国会議員連盟」を改組して結成された「明るい日本・国会議員連盟」(会長:奥野誠亮会長、事務局長:板垣正)が教科書問題をめぐり、慰安婦は公娼であったとの主張を展開。
  • 9月22日 「日本を守る国民会議」が教科書からの「慰安婦」関連記述の削除を求めて、1カ月の全国縦断キャラバンを開始。
  • 12月2日 藤岡信勝西尾幹二小林よしのり』、坂本多加雄高橋史朗ら9名の呼びかけで「新しい歴史教科書をつくる会」が結成される。翌1997年1月30日、小杉隆文部大臣に教科書の慰安婦についての記述の削除を申し入れる。

1997年 [編集]

  • 1997年
    • 1月 アジア女性基金による償い金の支給が始まる[42]
    • 1月3日 『朝まで生テレビ!』に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」こと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認める。
    • 1月30日 慰安婦に関する調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長は、参議院予算委員会において、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかったが、「総合的に判断した結果、一定の強制性がある」との判断で「河野談話」の表現になった旨を答弁。河野談話の根拠となった韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集に対する裏付けは取っていない旨を述べる[43]
    • 2月27日 自民党の安倍晋三の主導で自民党の当選5回以下の議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(事務局長:安倍晋三、幹事長:平沼赳夫、現・「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」)が結成される。
    • 3月 韓国の中学校、高校用の国定歴史教科書に従軍慰安婦に関する記述が今学期から掲載される。中学校の教科書では、、「女性までも挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」、高等学校の教科書では、「女性たちまで挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」と説明される。
    • 3月9日 元内閣官房副長官の石原信雄が『産経新聞』のインタビューで、募集の文書や担当者の証言を初め、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはなかったことや、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるように強硬に要請していた韓国政府に対し、「強制性を認めれば、問題は収まる」という判断で、元慰安婦らの証言だけで強制性を認めたという「河野談話」発表に至る経緯を明かす[44]。河野官房長官は、産経新聞のインタビューは断ったが、同年3月の朝日新聞のインタビューには応じた。[45]
    • 3月10日 ジャーナリストの 櫻井よしこが『文藝春秋』4月号の「密約外交の代償」と題する論文で、加藤紘一元官房長官、石原信雄元官房副長官、谷野作太郎元外政審議室長などに対する直接取材の結果として、証拠に基づかずに、政治的判断で強制連行を認めた政府の外交を批判。
    • 3月12日 参議院の予算委員会において、平林博外政審議室長は、「政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったが、総合的な調査の結果についての総合判断により、一定の強制性を認めた」旨の答弁をする。[46]
    • 河野洋平元官房長官が自身の講演会で、「女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかといえば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかったということは申しあげていいと思うんです。『資料がなかった』ということは事実としてはっきりさせておかなければいけない」と語る[47]
    • 3月31日 『朝日新聞』が2ページの慰安婦問題の特集記事を掲載。吉田証言に関し、「間も無くこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と、これまでの主張を修正し、「吉田証言の真偽は確認できない」とした。河野洋平元官房副長官のインタビューも掲載。
    • 5月 中学校教科書の慰安婦の記述削除を求める請願が各地の地方議会で相次ぐ。その問題に対して、「日本弁護士連合会」が「二度と過ちを犯さないため、事実を歴史教科書に記載して子供たちに伝えていくことが必要」と、請願を採択しないように地方議会に呼びかける声明を発表。
    • 6月27日 1997年度用中学校社会科教科書の検定に合格した7冊すべてに慰安婦に関する記述があることが判明。

1998年 [編集]

  • 1998年
    • 4月27日 元慰安婦3人と元挺身隊員7人の計10人の韓国人女性が日本政府に総額5億6400万円の損害賠償と公式謝罪を求めた訴訟(関釜裁判)で初の司法判断。山口地裁下関支部は請求の一部を事実認定し、河野談話の後、国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し、「慰安婦」一人あたり30万円の支払いを命じる。河野談話が強制連行の証拠と認定される。しかし、控訴審(2001年3月29日、広島高等裁判所)は、一審判決を破棄し、最高裁への慰安婦側の上告(2003年3月25日)も棄却され、最終的には慰安婦側の敗訴が確定)
    • 4月28日 『産経新聞』(1998年4月28日付)が「主張」の欄で、「慰安婦訴訟 禍根を残した『河野談話』」との記事で、慰安婦側の訴えた認めた前日の判決を批判。裏づけとなる証拠がない「河野談話」を根拠に強制連行を認めたこと、河野談話によって、国会での立法義務が生じたとされたこと、戦後補償問題を清算した「日韓基本条約」締結との関係が不明確である点を批判。[48]
    • 7月31日 小渕内閣中川昭一は 農林水産大臣就任直後の記者会見で、「中学校の教科書に従軍慰安婦に関する記載があるのは疑問」、「強制連行があったかどうかは分からない」などと述べ、中国、韓国からの強い反発を受け、翌日、発言を撤回した。
    • 8月 国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で、アメリカのゲイ・マクドゥーガル国連人権委員会特別報告者の「武力紛争時における組織的強姦、性奴隷及び奴隷類似慣行に関する最終報告書」(「マクドゥーガル報告書」)が採択され、附属文書で、日本の慰安婦の制度は「奴隷制」であり、慰安所は「強姦収容所」、慰安婦は強姦、性暴力を受けた「性奴隷」であるとし、慰安婦の日本政府に対する賠償請求権を認め、政府、軍関係者、兵士個人も訴追し、裁くべきであるとした。これは人権小委員会の勧告としては採択されず。
    • 8月 韓国で、「ナヌムの家」の隣に建てられた「日本軍慰安婦歴史館」がオープン。
    • 8月4日 『読売新聞』が「『慰安婦』問題をもてあそぶな」と題した社説で、「わざわざ韓国の反発をそそのかしているような報道がある」、中川農相が発言を撤回したのは、「歴史を捏造していた一部マスコミが、捏造への反省も訂正もないまま、重ねて問題発言だとして騒いだからだ。」と『朝日新聞』を暗に批判する。
    • 8月11日 読売新聞が「国連の権威損なう『慰安婦』報告」と題し、「慰安婦強制連行説」を捏造した者とそれを追認した「河野談話」を厳しく批判。
    • 11月 月刊雑誌諸君!』(1998年11月号)において、秦郁彦が吉田清治本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる[34]
    • 11月 改定版として出版された広辞苑5版は、旧版に加筆修正された。
      • 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
      • 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。

2000年〜 [編集]

2000〜2001年 [編集]

  • 2000年
    • 7月 中学校歴史教科書の検定申請本8種の内容が公開され、「慰安婦」についての記述が3社に減少することが判明。
    • 12月8日から12日 東京で慰安婦制度など戦時中の旧日本軍による性暴力を裁こうと、VAWW-NETジャパンを初め、日本とアジアの非政府組織(NGO)が東京で民間の模擬法廷、「女性国際戦犯法廷」を開く。最終日には四人の裁判官が「性奴隷化を図った慰安婦制度は当時の国際法に違反する犯罪」とする判決を発表。
  • 2001年
    • 2月17日 元職員(女・43)からセクハラを告発されていた『ナヌムの家』の園長が、女性職員との性関係を認め、園長職から退き、僧籍を離れることを表明[49]
    • 3月1日 読売新聞社説で慰安問題が捏造であると指摘。「特定マスコミが、戦時の勤労動員だった女子挺身隊を強制的な"慰安婦狩り"制度だったと歴史を捏造した結果、一時、日韓関係を極度に悪化させた。歴史を捏造してまで日本を比類のない悪の権化に貶めようなどというのは、「自虐史観」の極みである。中韓両国は、 こうした特定マスコミの報道に便乗して対日外交カードとするようなことがあってはなるまい」と主張。
    • 5月8日 韓国政府が日本政府に対して中学校の「つくる会」の歴史教科書などに対し修正を要求。
    • 5月16日 中国政府が日本政府に対し、「つくる会」の歴史教科書教科書の8項目について記述修正を要求。
    • 7月9日 文部科学省が韓国・中国政府の修正要求に対して、「つくる会」歴史教科書に対する訂正は求めない方針を示す。

2002〜2003年 [編集]

  • 2002年
    • 韓国女性省は、新学期から使用される中学2年と高校1年の歴史教科書の慰安婦関連の記述について「多数の女性を強制動員して、日本軍が駐屯するアジア各地に送り、慰安婦として非人間的な生活を強要した」などと、詳細且つ具体的な表現にする方針を発表、教育省に提案[50]。韓国女性省は「慰安婦が強制動員だったことと、性の奴隷としての生活を強いられたことを明確にする」、「慰安婦問題についてのビデオCDを教師向け教材として全国の中・高校に配布する」などの方針を示す。
    • 2月24日 立命館大学で開かれた「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)において、韓国・ 慶南大学客員教授(社会学)の金貴玉(キム・ギオク)(40)が、朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったと発表[51]
    • 3月28日 在日韓国人で唯一元慰安婦であると名乗り出た宋神道(80)が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求めていた訴訟で、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は宋側の上告を棄却し、宋の敗訴が確定。
    • アメリカとイギリスでタナカ・ユキ(田中利幸の英文筆名)名義で“Japan's Comfort Women”(日本の慰安婦)という英文の書が出版される。400人を超える女性への聞き取り調査に言及。当時、「タナカ・ユキ」が田中利幸の筆名であることは広く知られておらず、「正体不詳の著者」による本、女性の著作と誤解されることがよくあった。
  • 2003年
    • 3月25日 「関釜裁判」の上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。

2004年 [編集]

  • 2004年
    • 3月17日 韓国挺身隊問題対策協議会が韓国、日本、米国、フィリピン、台湾、スペイン、ベルギー、ドイツの8ヶ国で水曜集会600回を記念して1000人余りで日本政府に公式謝罪と賠償を求めるデモを行った[31]
    • 9月2日 「過去史真相究明論争」をテーマにした「MBC100分討論」において、ソウル大学李栄薫教授(経済学部)が、慰安婦を売春業になぞらえたかのような発言を行った。また「韓国戦争(朝鮮戦争)当時の韓国人による慰安所や米軍部隊近くのテキサス村に対する韓国人の反省と省察がない」「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか」「日本は挺身隊を管理した責任があるが、韓国民間人の問題も取り上げるべきだ」と主張。これに対しインターネット上で抗議が殺到、韓国挺身隊問題対策協議会も教授職辞任を要求[52]。9月6日、李教授は「ナヌムの家」を訪問し、元慰安婦らに謝罪。
    • 11月27日 中山成彬文部科学省大臣[53]大分県別府市でのタウンミーティングの席上で、歴史教科書について「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と述べたことが、反発を招く。
    • 『親日派のための弁明』の著者、金完燮が7年前に19万部のベストセラーとなった『娼婦論』に慰安婦制度を肯定する最終章を加えた日本版『娼婦論』(日本文芸社刊)を出版。韓国の女性団体が主張する「日本軍用女性奴隷」という用語は、「日本の国家的イメージを失墜させようとする意図が見え隠れする」と指摘、「慰安婦制度は戦場となった住民の安全を守るために必要不可欠だった」と肯定、「韓国の教科書で教える10万とも20万とも言われる女性が連行されたとする内容も情報操作された数字だ」とした。
    • 12月3日 細田博之内閣官房長官が民主党の岡崎トミ子副代表(当時)の求めで、衆院第2議員会館において、閣僚として初めて元慰安婦(韓国人の李容珠(75)とフィリピン人のベアトリス・トゥアソン)と非公開に面談。「(慰安婦問題)は父親の世代の罪。心から反省し、おわびする」と謝罪。

2005〜2006年 [編集]

  • 2005年
    • 3月27日 安倍晋三自民党幹事長代理が講演会で、「従軍慰安婦は作られた話」と述べる[54]
    • 4月 中学歴史教科書では、「慰安婦」の記載は申請段階で1社となる。
    • 6月 中山文科相が「従軍慰安婦という言葉はその当時なかった」と発言したことが、韓国などから反発を招く。
    • 8月10日 第二次世界大戦終結60周年世界60都市同時集会・デモが東京、ソウル、マニラ、サンフランシスコなどで日本政府や在外公館に対する集会やデモとして取り組まれた。日本政府に対し、国連勧告に従い元「慰安婦」への賠償を訴える。
      アムネスティ・インターナショナル」が、第二次世界大戦終結から60年を迎える直前のこの日の「水曜デモ」を機に、慰安婦とその支援者らに賛同することを発表[55]
  • 2006年
    • 3月15日、700回目の水曜デモが国会前で行われる。民主党の郡和子が「一日も早く謝罪と補償」を訴えた[56]
    • 10月5日 安倍晋三首相が「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府として引き継いでいくことを明言する。
    • 10月25日 内閣官房副長官の下村博文が東京・有楽町の日本外国特派員協会における講演で、「河野談話」について、「もう少し事実関係をよく研究し、時間をかけて、客観的に科学的な知識を収集し考えるべきだ」と述べる。

2007年 [編集]

  • 2007年
    • 1月末 マイク・ホンダら6人の民主党米下院議員が共同署名で米下院に慰安婦問題に対する日本政府の謝罪要求決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)を提出。戦時中に日本が、アジアの女性たちを強制的に「性奴隷」にしたことに対する首相の公式謝罪などを求める内容。
    • 2月15日 米下院院外交委員会アジア太平洋・地球環境小委員会における公聴会で、李容洙金君子ジャン・ラフ・オハーンの3人の元慰安婦が証言。
    • 2月19日 衆院予算委員会において、麻生太郎外務大臣が慰安婦をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」という記述について「決議案は客観的事実に基づいていない。日本政府の対応を踏まえておらず、はなはだ遺憾だ」と不快感を表明。麻生外相は同年3月11日、フジテレビの番組で、この対日非難決議案をめぐる動きについて「日米(関係)を離間させる有効な手段だ」として、第三国による対日工作の可能性を指摘。司会者の「北朝鮮や中国による工作か」との質問に同意する[57]
    • 2月21日、衆院内閣委員会で戸井田徹議員が「1953年2月27日の参院本会議・藤原道子議員の質問をマイク・ホンダ議員に翻訳して差し上げてもらいたい」と述べる。
    • 2月25日 フジテレビ系列の『報道2001』に中継で出演したマイク・ホンダは、「謝罪要求決議案は、反日の決議案ではなく、和解・平和ということを意識した決議案である」、「国会において、総理大臣が正式にきちんと陳謝するというプロセスが重要である」という旨を述べる。また、強制連行があった根拠を問われ、「被害者の証言」や「アジア女性基金による支援」、「河野談話」、「総理の謝罪」がなされたこと自体が根拠だと主張。
    • 3月1日 自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が「慰安婦に対して、日本軍の強制連行はなかった」との見解を明らかにし、政府に慰安婦問題に対する調査を要求[58]
    • 3月1日、安倍晋三首相が「河野談話」に関する記者の質問に対して「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語り、国内外から波紋を呼ぶ。
    • 3月5日 参院予算委員会において、安倍首相が、「(米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難)決議案は客観的事実に基づいていない」、「決議があっても謝罪することはない」と答弁する。
    • 3月13日 ダンカン・ハンターen) 共和党下院議員、時事通信社の取材に対し「日本政府は歴史的事実に立脚し、謝罪することが必要だ」と述べる[59]。理由については「関係者の話を聞いたところ、多くの女性が慰安婦として人道的にひどい扱いを受けたことは事実だと判断したため」としている(ハンターは日米関係を重視する保守派として知られているが、3月5日にアメリカ合衆国下院121号決議の共同提案者に加わっている)[59]
    • 3月14日 自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬 元文部科学相と下村博文官房副長官との会談で、当面は慰安婦問題に関する再調査しないことで合意。
    • 3月16日 日本政府は閣議において、社会民主党辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書[60]に対して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書[61]を出す。
    • 3月23日 「日本外国特派員協会」(東京・有楽町)で記者会見した中曽根康弘元首相に慰安婦問題に関する質問がなされる。海軍将校だった中曽根がボルネオ島で「慰安所」を設営したと回顧録で述べていることに対し、外国人ジャーナリストらが追及。中曽根は「私は飛行場を作る施設部隊にいた。(相当な期間を要するので、)徴用した工員たちのための娯楽施設を設営した」と説明。「『娯楽』とはどんな娯楽か」「強制はあったのか……」との質問に「海軍におったのでその点は知らない」とし、慰安婦問題については「河野談話を踏まえて謝罪すべきは謝罪する……」と答える[62]
    • 3月24日 米紙『ワシントン・ポスト』が「安倍晋三の二枚舌(Shinzo Abe's Double Talk)」と題する社説を掲載[63]。歴史的な記録により、日本が慰安婦を強制連行したことは「北朝鮮が日本の市民を拉致した証拠に劣らず説得力がある」、「拉致問題で国際的な支援を求めるなら、彼は日本の犯した罪の責任を率直に認め、彼が名誉を傷つけた被害者に謝罪すべきだ」とし、「河野談話」を後退させてはならないと主張した。
    • 3月28日 アメリカで最も使われている歴史教科書「伝統と出会い:過去に対する世界的 展望(Tradition & Encounters: A Global Perspective on the Past)」に、日本軍が当時、最大 30万人に達する女性たちを慰安婦として強制連行したとの記述があることが判明[64]。衆院内閣委員会で戸井田徹議員が敗戦直後に特別高等警察が編集した『進駐軍ノ不法行為』(特殊慰安施設協会の項参照)[65][66]を紹介。
    • 3月31日 元従軍慰安婦への償い事業を十二年間行ってきた「アジア女性基金」が解散。
    • 3月31日 米の『ニューヨーク・タイムズ』が国際面の1ページを使って吉見教授のインタビューを掲載。「軍の関与を示す資料発掘によって論争に終止符が打たれたのに、安倍晋三に先導された若い民族主義者の政治家らが河野談話の撤回に向けたロビー活動を行った」という旨の批判。
    • 4月3日 アメリカ議会調査局の専門家らが「日本軍の『慰安婦』システム」と題する議員の審議用資料とする報告書を作成。「軍による女性の強制徴用」について、「日本軍はおそらくほとんどの徴募を直接に実行はしなかっただろう。特に朝鮮半島ではそうだった」との見解を示す。また、アジア女性基金の設立や「河野談話」など、日本政府が謝罪や賠償の努力を重ねてきたことを指摘、日本へ更なる謝罪や賠償を要求することに疑問を呈す[67]
    • 4月17日 林博史関東学院大学教授が外国特派員協会における記者会見で、「従軍慰安婦」問題に関する新資料七点を発表。戦後の東京裁判でオランダ、フランス、中国の検察団が提出した尋問調書や陳述書が旧日本軍が慰安婦を強制連行し、性行為を強要したことを示していると主張。
    • 4月26日 米紙ワシントン・ポスト慰安婦問題ワシントン連合(徐玉子会長)など在米韓国系団体が「The Truth about Comfort Women(慰安婦の真実)」と題した意見広告を掲載。「日本はこの犯罪に全面的な責任を取ったことは一度もない」と非難、慰安婦問題に関し日本政府の謝罪を求める下院対日決議案の採択を求める。
    • 4月27日 総理として初の訪米した安倍晋三は連邦議会においての上下両院幹部との会談で、「慰安婦問題について「私の真意が正しく伝わっていない」「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、個人として首相として心から同情するとともに、極めて苦しい状況に置かれたことに申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と元慰安婦らに対する同情と「苦しい状況に置かれたこと」についてのおわびを表明[68]
    • 6月14日、米紙ワシントン・ポストTHE FACTS(真実)という意見広告が掲載。同年4月26日の韓国系団体による意見広告「慰安婦の真実」に日本の歴史事実委員会などが中心になって対抗したもの。

2008年 [編集]

  • 2008年
    • 1月に刊行された広辞苑6版では、従軍慰安婦について大幅に修正された。
      • 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた。
      • 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた。
    • 6月19日 林博史が、敗戦直後に旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の看護補助者に雇用せよと出した通達をイギリス国立公文書館にて発見した[69]
    • 10月30日 国際連合人権委員会のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会が日本政府に死刑廃止の検討と、慰安婦問題について法的責任の認識と謝罪を初めて勧告[70]

2009年 [編集]

2010年 [編集]

  • 2010年3月15日大韓民国外交通商部は、あらためて慰安婦については「1965年の対日請求の対象外」として「日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している」と再度要求を開始した[73]
  • 2010年4月28日、フィリピン最高裁は、フィリピン政府に日本政府への謝罪要求を支持するよう求める訴えを退けた[74]

2011年 [編集]

  • 2011年8月30日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が日本軍慰安婦被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは違憲」と判決[75][76]
  • 9月15日韓国外交通商省趙世暎東北アジア局長は「慰安婦と被爆者の賠償請求権が請求権協定により消滅したのかどうかを話し合うため、日韓請求権・経済協力協定第3条により両国間協議を開催することを希望する」という口上書を日本側に提出。9月24日ニューヨークでの日韓外相会談、10月6日のソウルでの日韓外相会談でも同様の要求をおこなう。
  • 11月27日、高知市の市民団体「平和資料館・草の家」が旧海軍の資料を公表。資料には「主計長の取計(とりはからい)で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」とある。これは1978年の中曽根康弘の回顧録に符合するものである。同団体は「中曽根氏が現地の女性を集めて慰安所を設置するよう計らったことは明らか。軍の関与を示す重要な資料」と主張している[77]
  • 12月8日、慰安婦は志願であったとネット上に書き込んだ韓国人が韓国政府によって「情報通信網の利用促進及び情報保護などに関する法律違反」で検挙される[78]
  • 12月14日、駐韓国日本大使館前に13歳の少女慰安婦と称する銅像を設置[79]
  • 12月17日、訪日した李明博大統領が在日本大韓民国民団大阪本部で演説を行い「慰安婦問題を解決しなければ日本は永遠に韓日間の懸案を解決できない負担を抱えることになるだろう」と述べた[80]

2012年 [編集]

2013年 [編集]

脚注 [編集]

※出典とされた文献については慰安婦#参考文献の書誌情報を参照。
  1. ^ 「生きている兵隊」伏字復元版(1999中公文庫)ISBN 4122034574
  2. ^ 参院本会議(1953/2/27)[1]
  3. ^ 翌年映画化[2]
  4. ^ 高崎宗司「半島女子勤労挺身隊」について]:『「慰安婦」問題 調査報告・1999』財団法人女性のためのアジア平和国民基金刊,1999年。
  5. ^ 高崎前掲論文1999
  6. ^ 高崎前掲論文1999
  7. ^ 資料日本ウーマン・リブ史1(松香堂書店1992)p196-200
  8. ^ 有馬真喜子「ぐるーぷ・闘うおんな」現代の眼1971年2月号p234-239
  9. ^ 近年出版された小熊英二『1968』下巻 新曜社 ISBN 4788511649・第17章「リブと『私』」p.713、p.721によれば、初期ウーマン・リブの運動家であった田中美津が1970年当時に書いた著作の中に、「従軍慰安婦という一大便所集団」の「大部分は朝鮮人であった」(同書p.713・便所集団とは、性処理の対象という意味の田中流の言い方)、あるいは「貞女と慰安婦は私有財産制下に於ける性否定社会の両極に位置した女であり、対になって侵略を支えてきた」(同書p.721)という記述があるとされる。
  10. ^ 『従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発』双葉社,1973年,p106
  11. ^ 高崎前掲論文1999
  12. ^ 金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』三一書房1976年
  13. ^ 「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」は、半年後には五十嵐広三田英夫などの国会議員や、橋本大二郎橋本龍太郎元首相の弟)を含む120人以上の個人と10以上の団体の賛同を得る。
  14. ^ 宋斗会に私淑し、在日二世の日本国籍確認訴訟に取り組む。2005年5月には『朝鮮人徴兵・徴用に対する日本の戦後責任―戦後日本の二重基準』という著作を出版した。
  15. ^ [今日の歴史(11月16日) http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2006/11/09/0200000000AJP20061109000500999.HTML] 聨合ニュース 2006/11/09
  16. ^ 戦後、浮島丸事件の訴訟を起こしたり、指紋押捺を義務づけていた外国人登録制度に抗議をして、霞が関で自らの外国人登録証を焼き捨てたり、慰安婦問題に対して日本政府に謝罪を求める意見広告を新聞に出したりするなど、在日の立場から発言した。
  17. ^ 西岡力 「すべては朝日新聞の捏造から始まった」(『WILL』2007年5月号)
  18. ^ 和訳『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」』三一書房, 1992年
  19. ^ 尹貞玉1992
  20. ^ 尹貞玉1992
  21. ^ 第118回国会 参議院 予算委員会 第19号 平成2年(1990年)6月6日
  22. a b 要求した六項目とは
    1・日本政府が朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認める。
    2.公式謝罪する。
    3・蛮行の全てを自ら明らかにする。
    4・慰霊碑を建てる。
    5・生存者・遺族への補償。
    6・歴史教育で(慰安婦問題に関する)事実を教える。
    (後に責任者処罰が加えられる。)
  23. ^ 朝日新聞社 『女たちの太平洋戦争(3)---暗い青春の日々』 朝日新聞社 1992年3月
  24. ^ 記事を書いた植村記者は、慰安婦問題で訴訟を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」の女性幹部の娘と結婚しており、義母からの情報提供で、韓国よりも先にスクープを書いた。
  25. ^ 救う会の西岡力副会長が 2005年1月24日に発表した「朝日新聞にまず問いたいこと」という一文、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言』第4巻(小学館 1997年)
  26. ^ この元慰安婦金学順の同年8月14日の韓国ソウルでの記者会見の話によると、17歳の時、義父によって、華北の日本軍部隊に連れて行かれたことになるが、この1939年(昭和14年)に「女子挺身隊」は未だ存在していなかった。
  27. ^ 秦郁彦との対談で、千田夏光は「訴訟を起こした金学順さんの講演記録を読むと、軍による強制連行だったかどうかは不明確なんです。」と述べている。(出典↓)
  28. ^ 「歴史論争を総括する」(『論座』 1999年9月号)
  29. ^ 『ハンギョレ新聞』(現:『ハンギョレ』)1991年8月15日付
  30. ^ 日本大使館前の水曜集会、今年の女性運動賞受賞 聨合ニュース 2008/02/27
  31. a b 慰安婦「水曜デモ」、8カ国で同時開催 中央日報 2004.03.17
  32. a b 日本大使館前の水曜集会、問題解決求め800回目に 聨合ニュース 2008/02/14
  33. ^ 『日韓新考』(黒田勝弘 産経新聞出版/扶桑社 2005年 2月)によれば、前年の日本のテレビで、教え子の6人の女子児童を「女子挺身隊」として日本の軍需工場に派遣したソウルで国民学校の教師をしていた日本女性が、戦後、韓国で教え子たちの消息をたずね歩き、全員が無事だったことを確認したという美談が、慰安婦として強制連行されたと誤解されたという。
  34. a b c d 慰安婦にまるわる年表”. いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイトワック・マガジンズ2010年3月8日閲覧。
  35. ^ 「パナイ島接客業組合」という資料において、「事業内容」の部分で、酒場、映画などの六項目のうち、最後の「慰安所」という項目だけが、白く消されて公開されていた。その後に公刊された政府資料には、「慰安所」という項目名が復活するが、その下にある責任者の名が黒く消されている。ここは、事業種と事業者・責任者のリストである。(「政府調査「従軍慰安婦」資料集成」2巻202頁)
  36. ^ 2001年末現在第5集まで刊行。日本ではその10月に『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』として刊行
  37. ^ 在日の慰安婦裁判を支える会とは [3] 「「慰安婦」(多数回の強かん)にされたこと、戦地で生命の危険にさらされたこと、戦後の国会答弁などによる名誉毀損、などなど...、あえて計算したところ、合わせて、なんと、767億5,893万7,500円!もの額になりました。しかしこれでは裁判の請求額としては大きすぎます。(1)の767億円の一部請求としての1億2千万円を、謝罪に追加して請求しました(1995年 第7回口頭弁論)。」
  38. ^ 平和友好交流計画に関する村山内閣総理大臣の談話」」
  39. ^ 1995年1月5日号
  40. ^ 同年3月、日本政府は報告書に対する非公式な反論文書を各国に配布したが、強い反発を受けたため、「従軍慰安婦問題」は国際法的には解決済みだとして、「女性のためのアジア平和国民基金」への理解を求める内容に修正した文書を国連に提出したが、各国の理解は得られなかった。
  41. ^ 国連における評価基準は上から”commend”(賞賛)、"welcome"(歓迎)、"take note with appreciation"(評価しつつ留意)、"take note"(留意)。
  42. ^ 韓国での慰安婦基金、受給拒まれたまま事業終了へ 朝日新聞 2002年2月24日
  43. ^ 第140回国会 参議院 予算委員会 第2号 平成9年(1997年)1月30日
  44. ^ 産経新聞1997年3月9日付
  45. ^ 河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言(『国を憂い、われとわが身を甘やかすの記』 2006/08/28 15:48)
  46. ^ 第140回国会 参議院 予算委員会第8号 平成9年(1997年)3月12日
  47. ^ 『WILL』2007年5月号
  48. ^ 『産経新聞』(1998年4月28日付)「主張」
  49. ^ 朝鮮日報』2001年2月19日付
  50. ^ この当時の韓国教科書では「女性まで挺身隊の名で連れ去られ慰安婦として犠牲にもなった」と記述されている。
  51. ^ “朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表”朝日新聞. (2002年2月24日2010年3月9日閲覧。
  52. ^ “李栄薫ソウル大教授「従軍慰安婦は売春業」”朝鮮日報. (2004年9月3日2010年3月9日閲覧。
  53. ^ 当時、中山文科相は、歴史教科書の見直しを推進する自民党内の「日本の将来と歴史教育を考える若い議員の集い」での代表であった。
  54. ^ 中央日報』 2005年4月2日付2面
  55. ^ 60年もの間求め続ける正義:2005年8月10日の「水曜デモ」を機に、元「従軍慰安婦」とその支援者に連帯を表明する。
  56. ^ 郡和子 公式ホームページ 2006年3月15日
  57. ^ 「時事ニュース」 2007/03/11-10:49
  58. ^ 中央日報』 2007年3月2日付
  59. a b “慰安婦への「謝罪必要」=米大統領選出馬のハンター氏”. 時事通信社. (2007年3月14日)
  60. ^ 安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
  61. ^ 衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書
  62. ^ “慰安婦問題でトバッチリ喰らった中曽根元首相”JANJAN. (2007年3月24日2010年3月9日閲覧。
  63. ^ “Shinzo Abe's Double Talk” (英語). ワシントン・ポスト. (2007年3月24日2010年2月1日閲覧。
  64. ^ “美역사교과서 "일본군, 위안부 강제 동원"(米歴史教科書"日本軍、慰安婦強制動員" )” (韓国語). 聯合ニュース. (2007年3月28日2010年3月9日閲覧。
  65. ^ 水間政憲:封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル, Sapio(2007/4/11)pp63-65
  66. ^ 国立公文書館:進駐軍ノ不法行為[4]
  67. ^ 「組織的強制徴用なし」 慰安婦問題 米議会調査局が報告書(『産経新聞』2007年4月12日)
  68. ^ 時事通信』 2007年4月27日
  69. ^ 共同通信配信(2008/6/19)[5]
  70. ^ 「日本に死刑廃止検討求める。国連委、慰安婦でも初勧告」産経新聞2008-10-31
  71. ^ CHOE SANG-HUN (2009年1月8日). “Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases” (英語). ニューヨーク・タイムズ 2012年10月31日閲覧。
  72. ^ “元慰安婦の損害賠償請求権譲渡を可能に、法改正推進”聯合ニュース. (2009年1月27日2010年3月9日閲覧。
  73. ^ 「慰安婦、日本に法的責任 韓国政府が再確認」産経新聞2010-03-15}}
  74. ^ “従軍慰安婦の訴え退ける フィリピン最高裁”共同通信 (産経新聞). (2010年5月4日2010年5月4日閲覧。
  75. ^ 韓国憲法裁判所判決全文(日本語)WAM女たちの戦争と平和資料館
  76. ^ 西岡力「韓国よ、いい加減にせんか 危険水位を超えた「慰安婦」対日諜略」産経新聞2011.11.11.,月刊正論2011年12月号
  77. ^ [6]朝日新聞2011.11.1、「中曽根元首相、慰安所「取り計らい」 旧海軍資料に記述」
  78. ^ “従軍慰安婦を侮辱した書き込みで検挙…日本留学中に洗脳か=韓国”Searchina. (2011年12月9日2011年12月17日閲覧。
  79. ^ “駐韓日本大使館前に「13歳の慰安婦少女」の平和の碑”中央日報. (2011年12月15日2011年12月17日閲覧。
  80. ^ “慰安婦問題解決なければ日本にとって負担=李大統領”聯合ニュース. (2011年12月17日2011年12月17日閲覧。
  81. ^ 「戦争と女性の人権博物館|日本軍慰安婦のための名誉と人権のための戦争と女性の人権博物館」と公式サイトで明記されている。
  82. ^ [7]公式サイト建設計画。
  83. ^ [8]公式サイトより。
  84. ^ 戦争と女性の人権博物館より。
  85. ^ 第2の慰安婦碑、ニューヨーク州に建立 東亜日報 JUNE 18, 2012
  86. ^ 産経新聞2013.1.17.「日本政府に謝罪要求 慰安婦でNY州決議案「最大規模の人身売買だ」
  87. ^ 産経新聞2013.1.30「慰安婦は「人道への罪」 NY上院が決議採択」
  88. ^ 極右「在特会」の「被害届」に便乗して市民団体を強制捜索――大阪の公安が相次ぎ運動弾圧”. 週刊金曜日 (2013年3月15日). 2013年閲覧。...















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