人間が用いる意志伝達手段 すばらしい日本語

すばらしい日本語
以下、ブログ『株式日記と経済展望』の記事 
「英語は侵略者の言葉であり語調は高圧的な命令口調に適している。」
のコメント欄の「Unknown(名前未記入)さん 2009-10-25 21:12:42」
と「オルフォーさん 2009-10-26 15:09:17」の投稿より転載
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7699282b58ee05f554574c7d...

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言語としての日本語、そして外国語との比較。

【使用人口などの予備知識】

◆世界人口は約60億人で、6703の言語が存在。

その中で使用者が1億人を越す言語は、
1.中国語、2.英語、3.ヒンズー語、
4.ロシア語、5.スペイン語、6.日本語だけ。

◆この6つを含むトップ20の言語の使用人口だけで
全世界の総人口の半数を超える。

つまり「トップ20言語」と「残り6683言語」の使用人口は、前者の方が多い。

◆ブログの言語別使用人口では日本語が1位。2位が英語。

【日本語の特徴】

◆2種類の文字が完全に並存→文字表現の幅広さ。

日本語は、表音文字と表意文字を両方持ち、
それぞれが個別でなく混在併用が可能。

この世界的にも珍しい特徴により、
他言語を表意・表音で日本語化できるため、
他言語に類を見ないほど異言語からの高い翻訳精度を実現。

元言語の文意を、ほぼ同意に自国語に翻訳することは、
どの言語でも可能なことではない。

また、日本語単体で使用する場合にも応用範囲と柔軟性に優れ、
似たような意味内容の文章であっても、
わずかなニュアンスの含意をかなりの幅で表現できる。

◆高品質な翻訳→自国語だけで先端知識を学習可能。

西洋や東洋の言語を漢字の単語や熟語、カタカナ等の
日本語に置き換えるという積極的な“言語の格闘”を経たことで、
日本語には外国語も自在に吸収できるという世界の言語の中でもユニークな
「国際派言語」としての特徴がある。

カナと漢字の混在により外国語を高い精度で消化吸収できるため、
日本語の翻訳があれば基本的に最先端の知識まで
日本語だけで理解することが可能で、
それによって自国語しか学ばない人にも
比較的高い水準の学習や考察を可能にしている。

これは世界の言語の中でもごく一部の言語のみが持つ特性で、
多くの言語では「ある言語(主に英語)からの適切な翻訳」が
語彙的にも不可能な場合の方が多い。

自国語の学問だけで最先端の研究を行い、
たとえばノーベル賞を受賞する水準まで理解と創造を可能にする言語は、
世界的には実は多くない。

ちなみに中国も近代化の過程で西洋の知識や概念や思想を
取り入れる手段として「日本語に訳した西洋語」を用いた。
現代中国語にも多くの日本語が残っている。

◆書籍の豊富さ、有用性。

日本人は自覚がないが、日本は読書大国であり、
書籍大国なので、他国に比して豊富な書籍を持っている。

また日本は翻訳大国なので日本語ができればあらゆる国の
あらゆる書物が読むことができる。

これは英語も同様で、翻訳書籍が多く、
学ぶことでの益の大きな言語のひとつ。

ただし、英語に翻訳された書籍の中に日本語の書籍は「多い」と言っても
限度があるので、日本自体に興味のある外国人は、
英語でなく(または英語に加え)日本語を学ぶ動機にしている。

◆言語としての歴史が古く、一般庶民への普及の歴史も古い。

日本語は、発展をはじめた時代が早かった。
江戸時代には、もはや“庶民”までが文学をものすことが可能なほどで、
近代の初めには、その時代の非西洋国では類例の少ない
「学問を自国語で行える水準」に達していた。

ちなみに江戸時代と同時期、識字率(読み書きできる人の人口比)が
低かった国は中国や韓国だけでなく、
パリで約10%未満、ロンドンでも約20%に過ぎなかった。

これに対して江戸は、なんとその頃で既に約70%以上の識字率だった。
これは小さな分母の中に生まれた特異的な比率ではない。
1801年当時“ヨーロッパで最大の都市”は
人口は約85万人のロンドンだったが、
江戸はゆうに100万人を超える“世界最大の都市”だった。
その最大の都市において70%以上が
読み書きできていたという驚異的な差があったのである。

このように識字率が高く、言語の裾野が広いことが、
日本を文化的、経済的に早い段階での発展へと導く理由のひとつとなった。

◆言語としての連続性も維持している。

日本は、島国であったことや、
古代から中世で他国との戦争に負けたことがなかったことに加え、
既に述べたように読み書きが、古く、広く、普及していたおかげもあって、
日本語は言語としての連続性が途切れることがなかった。

他国では、少数の貴族や上流階級だけが
読み書きを行っていた例も多かったため、
国家の規模や文化が関係国と比して弱くなった場合や、
端的には愛国心が弱まった時代など影響、
他国語の流入や戦争などのきっかけによって
連続性を保てなくなることがあった。

そうした場合、ある言語が消滅したり、
代わりにその国に他国語が定着し、母語化する。
そういった国の場合、数百年前の自国の文字を
解読することにも大変な苦労を伴うことになる。

一方、日本語の場合、その歴史に連続性があるため、
“千年前の文字”でも比較的容易に解読可能である。

この、過去との文化的な断絶が少ないことが、
そういった連続性のない国と比して、過剰な愛国心を煽ることなく
民族的なアイデンティティや共通認識を形成できる“以心伝心”の文化と
国民性を自然に醸成する一助となった。

◆言語としての習得が難しい。

表意文字の漢字と表音文字のひらがなカタカナを駆使する日本語は
世界で最も複雑な表記方法を用いる言語の一つである。
使用上の利便性においては恵まれているといえるが、
反面、漢字・ひらがな・カタカナの並存に加えて、
夥しい数の同音異義語・類義語があることなどもあいまって
言語としての習得は日本人にも難しい。
当然、外国人にはなおのこと難しく、普及させるには不便な言語でもある。

だがこれは、反面において、「国防意識の欠如した現代日本」においては、
外国からのスパイ活動を最小限に抑える天然の障壁となっている。
日本語を母語とする人であれば、かなりの高確率で、
音声だけで相手が外国人であることを判別できる。

これは、「仮に日本語を10年間学んだ外国人」であっても、
ネイティブの日本人と同等の日本語能力・発音・TPOに応じた使い分け等、
ニュアンスの機微まで習得できる例がごく稀であるためだ。

◆発音が簡単。

日本語は『発音が世界でも最も単純な言語』の一つ。
日本語のすべての音は、
単純明快な規則性をもった5つの母音と9つの子音によって表現できる。
中間音などの半端な音で誤解が生じる可能性が低い。
完全に使いこなすことが難しい反面、
外国人がカタコトで日本語を喋ったとしても、
日本人はそれをほぼ正確に理解できるという側面を持つ。

◆漢字の利便性。

漢字は、日本や中国などの漢字使用者にとっては、
偏やつくりにより意義を類推しやすく、
初見の文字や熟語も理解したり発音できる場合が多い。

また、文字数に内包される意は英語などとは比すべくもなく多く、
少ない文字数でより多くの意味を伝達できるため、
読書や学習のみならず記述など、
入出力の両面において情報伝達の効率が非常に高い。

◆独自の文字。

欧米人の使うアルファベットという文字が
フェニキア人の文字であるように「独自の文字」を持つ言語は少ない。

日本語の場合、中国からの輸入した漢字に加え、
漢字を略すことで日本人が発明した独自の表音文字であるカタカナやひらがな
を持っている。その独自の表音文字と輸入された表意文字である漢字が、
互いの文字を駆逐することなく、千年以上もの歴史を経ても
完全に共存し続けている表記方法は世界的にみてもユニークである。

◆使用者の多さ。

使用者が1億人を越す言語は世界に6つしかないが、その中のひとつが日本語。
(※残り5つは、中国語、英語、ヒンズー語、ロシア語、スペイン語)

また、使用者の多さで「トップ20の言語」と「残り6683言語」の使用人口は、
前者の方が多い。

つまり、世界中のほとんどの言語(6683言語)は
ごく少数しか使われていないのに対し、
日本語は世界的にはかなり多くを占めているといえる。

また、全世界のブログの言語別使用人口では日本語が最も多い。
(※2番目は英語)
この、使用者が多いという日本語のスケールメリットは、
日本語の書籍が日本国内だけで商売が成立する一つの要因になっている。
大量の書籍などによって情報の蓄積が
日本語で行われることで日本の情報の水準を底堅くしている。

◆早期に欧米の概念を翻訳→漢字圏に伝達。

日本は早くから欧米の概念を、
漢字の元の意味を無視した自由な発想で翻訳した。

一方、中国は漢字の元の意味に拘泥したため
日本のようには西洋概念の翻訳が根付かなかった。

代わりに中国や韓国は日本語翻訳を西洋を学ぶのに利用したため
現代中国語・現代韓国語などにも
日本で作られた単語が今も数多く残っている。

(※ちなみに韓国は今でも外国文学の翻訳を、
日本語訳の書籍から行う場合が多い。これはあらゆる面で、
外国語からの翻訳より日本語からの翻訳の方が楽だから)

◆自国語で完結することによるメリット。

日本は、国内ではほぼ日本語だけで成立している。
また、その状態で世界有数の経済大国になることに成功した。

そのため日本人にとって真の意味では外国語は必要ではなく、
必要が生じてもカタカナで表音化してしまうために
外国語が使用言語としてはほとんど普及しない。

その国の多数派言語は少数派言語を駆逐するため、
アイルランドやケルトは言語の死滅を招き、その文化をも死滅させた。

だが、日本国内における「日本語による完結」は期せずして
そうした国外からの文化侵略に対する防護壁となっている。

【英語教育について】

◆英語を公用語化するような方向に進んでも、
その国は絶対に『二言語化』しない。

なぜなら2つの言語は絶対に対等にならず、
多数言語は少数言語を駆逐するから。

アイルランドやケルトにみるように、
一方の言語が支配層のものになり多数派になった時、
被支配層の言語は弱体化し続け、文化を道連れにして消滅している。

◆国際化とは、英語への一元化ではない。
多数の言語と文化は複合的に共生すべきであって、それらに優劣をつけて、
優位にある言語への一元化などすべきではない。
それは国際化の真の意味とは逆。

◆日本人が英語が不得手な理由として、
英語教育の不備については多く語られているので省略するが、
もう一つ大きな理由がある。

それは「多くの日本人にとって」不要だからである。
日本は、日本海や太平洋に囲まれた島国であり、
陸地において他国と隣接していない上に、
経済規模が単独でEUの総計に匹敵する水準にあるため、
他国語を使わなくとも日本人のほとんどが経済上の不利益を被ることなく
一生を終えることができる。

日本において海外への『出稼ぎ』がほとんど存在しないのは、
日本で働くほうが経済的要求を充足させるための効率が良いからであり、
また、「海外での起業」をしても、顧客の経済水準を考えれば、
よほどの成功例を除いて日本国内で働くほうが
有利な結果をもたらすことのほうが多い。

実用言語というのは多くの場合「必要」があって初めて身に付くものであり、
日本では一部の者にしか英語を学ぶ本当の意味での「必要」に迫られることが
ないため、日本人は英語を習得しにくい。
端的にいえば、「日本国内では、英語習得の社会的動機が弱いこと」
がその理由であるといえる。

◆別に全ての日本人が英語を学ぶ必要はない。
中国語やロシア語と同様に、
それぞれのスペシャリストがやればいいだけである。
「英語だけは小学生からの必修にすべき」などという考えは愚かだ。

◆インターネット上で日本語が多いのは防諜や工作障壁の意味でも好都合。
もし英語だらけになればネットまで
外国によって世論工作に利用されやすくなる。

日本語利用者は、日本人が圧倒的に多く、
多少学んだ程度では文語の日本語は正確に使いこなせないほど難解なため、
外国人にはネット上の文字だけで日本人を装うことが非常に難しい。

◆アメリカ英語を最重視するのはアメリカ覇権による幻想。

実際、英語を「母語として」話す人口は、
日本人の持つイメージより遥かに少なく、
スペイン語にも劣るたった3億人しかいない。

◆日本人が世界中から不利なルールを押し付けられがちなのは、
自分でルールを作る発想と気概がないため。
真の国際化とは、外国語の輸入ではなく、
自国語の輸出によって達成される。むしろ母国語を大切にすべきだ。

【結論】

・言語の消滅は、文化を道連れにして消滅させるだけでなく、国力も奪う。

・外国語は、それを必要とする職種の者が、
「特殊技能として」習得すれば足りる。

・日本語の優位性を認識し、日本語を守ることのメリットを理解すべし。

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【日本語には道徳律が組み込まれている】

それからもうひとつ重要なことは、
日本語には道徳律が組み込まれていることです。
敬語、謙譲語、丁寧語といったもの、
さらには間接受け身、迷惑受け身といったものまであります。
こうしたシステムは、私たちの祖先が、
気の遠くなるほど長い時間をかけて作り上げたもので、
人の社会をスムーズに動かすために工夫した知恵の集大成です。

英語にも敬語や丁寧語はありますが、
日本語ほど複雑ではありません。
なぜならばキリスト教がその役割を果たしているからです。
聖書を読んだり、教会に行って牧師の説教を聴いたりするうちに、
子供たちはすこしずつ道徳を学ぶ。
日本の子供たちは聖書も読まず、教会にも行かない。
それでもアメリカの子供たちと比べて見劣りしないほど、
素直で礼儀正しい子供が育つ、最近はそうでもありませんが、
言葉そのものに道徳律が組み込まれているからです。

日教組の教師たちは敬語や丁寧語は時代遅れだとみなしました。
差別はよくないと考えた。
その結果、敬語が使えない子供が育ったのはよいにしても、
少年犯罪が増えたり、振り込め詐欺が増えたりしました。
日本語そのものに、社会をスムーズに動かす知恵が組み込まれている。
このことを忘れると、社会がぎくしゃくします。

外国人参政権がよくないのも同様で、
まずは日本語をしっかり学んでもらう必要がある。
日本は、言葉の役割が道徳律まで及んでいる特殊な国です。

しかし言語学者は宗教学者ではありませんから、
日本語の特殊性にあまり気づいていません。
なぜ主語を省略するのか、源氏物語には主語がありません。
イングランドがバイキングに苦しんでいた時代に、
敬語の違いで主語を推測できるような文学が書かれます。
しかもその書き手は女性です。
欧州最初の女性作家はヒルデガルト・フォン・ビンゲンですが、
彼女の著作は宗教書であり、世俗の小説ではありません。
日本がいかに特殊か、いかに道徳律が進化した国であるかは、
この一例でもわかります。
ちなみに中国や韓国に女性作家が登場するのはいつでしょうか。
あまり聞きませんね。

中国や韓国の場合は儒教、中東の場合はイスラム教、
ラテンアメリカはカトリック、イスラエルはユダヤ教、
宗教で縛らずに社会が動いてきた国は日本しかありません。
ソ連や東欧は宗教を排除しようとしましたが、
勝利したのはカトリックやロシア正教でした。
宗教に代わるシステムが言葉そのものに組み込まれているからこそ、
お盆もクリスマスも正月も共存できるのです。